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2021年01月15日

成人式の思い出

1月11日は成人の日。今年は、新型コロナウイルス感染防止のため、多くの自治体が成人式を中止又は延期しました。式が中止となり、レンタルした着物が無駄にならないよう、せめて写真だけでもと、閉まっている式場前等で写真を撮る姿がニュースで取り上げられていました。
一方、例年より少ないのですが、相変わらず酒を飲み、大騒ぎをし、警察官ともめる新成人の映像が、恒例のようにオンエアーされました。「マスコミも取り上げるのをやめたらいいのに…」「多様化した今の時代、成人式のあり方はこれでいいのか?」という思いが強くなります。

DSC_1021copy.JPGすでに選挙権年齢が18歳に引き下げられ、2022年4月からは民法改正により成年年齢(法律用語?)は20歳から18歳に変更になります。成人式の開催については法的な拘束はなく、「開催する、しない」や「開催する場合、18歳か20歳か」の判断は各地方自治体に任せられているようです。

私も40年以上前、成人式に行きました。私なりに、成人式のいいところは、久々に多くの同級生と会い、楽しく語らうことができる「同窓会的」なところだと思います。当時、私は、東京の千代田区にある某大学の学生でしたが、住んでいたのは千葉県市川市でした。真面目に、住民票をきちんと移していたので、成人式の案内は市川市から来ました。成人式当日は快晴だったのをよく覚えています。久々にスーツを着て、大学や高校が多く集まっている国府台地区にある式典会場「市川市スポーツセンター」に、少し緊張して向かいました。
「つまらない!」誰一人知っている人がいない、完全アウェーです。至る所で「よう! 久しぶり」と楽しく語らっている由緒正しい市川市民である参加者の集団ができていました。その間を縫うようにして受付に向かった時は、本当に寂しかった。
式典の最中は、今と違って(?)参加者は静かに市長の話などを聞いていたので、普通に参加できていましたが、式典が終わると「さあ、飲みに行こう」というプチ同窓会が至る所で再開しました。「早くこの場所から立ち去りたい!」私は記念品(赤い表紙で30cm四方の立派な写真用アルバムでした)をもらい、そそくさと会場を後にしました。
「やっぱり成人式は地元に限る!」を痛感しました。

大学の同級生のほとんどが住民票を移動していたので、住んでいる自治体ごとに成人式は違っていました。成人の日の翌日、大学で同級生と成人式の話題になり、情報交換しているとき、とても寂しい気持ちだった私は、逆に、市川市の成人式を誇らしげに語りました。
同級生M「江東区は、第2部は岩崎宏美オンステージだった!」(※岩崎宏美:歌手。その時20歳で式に参加。当時は超売れっ子歌手。『ロマンス』『シンデレラ・ハネムーン』などのヒット曲多数)
同級生A「船橋市の第2部はサーカスオンステージだった!」(※サーカス:男女4人のコーラスグループ。当時は人気グループ。『Mr.サマータイム』『アメリカン・フィーリング』などのヒット曲あり)
MとA「阿部。市川市の第2部は誰だったんだ?」
私「(堂々と)市川市民音楽隊!!」(2021.1.15)

日時: 2021年01月15日 11:32

2021年01月06日

明けましておめでとうございます

2021年。令和3年。明けましておめでとうございます。

今年は、新型コロナウイルス感染を避けるため、昨年までとは違った新年を迎えました。

《初詣》
DSC_1015copy.JPG10歳から約30年間、天童市の東方の山にある「めでためでたの『若松寺』」に初詣に行っていました。元日の朝8時頃、自宅を出発し、片道5.4kmを歩いて往復するのが恒例でした。
ここ20年くらいは、時間短縮のため、元日の午前10時頃、車で舞鶴山の麓にある「建勲神社」にササッと初詣に行き、新年のご挨拶に直行していました。
しかし、今年は密を避けるため、午後1時半に人があまりいないことを確認しながら、建勲神社へ初詣に行ってきました。分散初詣を意識する人が多いようで、翌日の午後4時に、また建勲神社に行ってみたところ、売店のテントもあり、初詣をする人も数名いました。

《初売り》
毎年1月2日は、気合いを入れ、朝「5時起き」で仙台の初売りに行っていました。平成27年だけは、最初に三井アウトレット仙台港に行きましたが、他は全て藤崎デパートの開店前の長蛇の列の中にいました。遅くとも午前7時前に列に並ぶので、まだ薄暗く、極寒の中、1時間以上待っているのは辛いのですが、列に配られるチラシをもとに作戦を立てながら待ちました。
藤崎での第1回戦を終了すると、モール長町の第2回戦へ移動するパターンがほとんどです。ほぼ買い物が終了すると、モール長町で朝食兼昼食を取るのですが、疲れた体と頭は午後2時か3時頃の雰囲気で、一日が終了した感じです。しかし、実際の時間は午前10時ちょい過ぎ。ちょっとした時差ぼけを毎年味わっていました。
残念ながら今年は、新型コロナウイルスが心配なので、早々と行かないことを決めました。(なんとコロナ禍でも初売りはしたようです)来年は安心して行けるといいなと願っています。
※昨年(2020年)の話ですが、藤崎の福袋で「ナイスアイディア!」と思ったのは、「子(ね)年記念! 八木山動物公園『カピバラ』お世話体験&ふれあい館バックヤードツアー福袋」(限定4組、2,000円)です。小さい子供がいれば、即飛びついただろう夢のある福袋でした。

《奉納絵馬》
ここからはPRですが、山形市六日町にある「熊野神社」に、毎年、干支の大きな絵馬(大判用紙より少し大きめ)が2枚、本殿の両脇に奉納されています。神社に近い、山形五中の美術部と山形東高の美術部の生徒の作品です。あまり知られていませんが、「熊野神社」というと樹齢数百年の二本の欅「夫婦欅」が有名です。山形市の中心部にあるとは思えないくらい、見事な二本の巨木です。機会があれば、是非、足を運んでみてください。

今年もよろしくお願いします。(2020.1.6)

日時: 2021年01月06日 13:59

2020年12月15日

今年はねずみ年だった…

今年も残すところ、あと半月。去年の今頃は、「2020年は東京オリンピックが主役の年」と思っていたのですが、誰にも忖度しない(?)新型コロナウイルスが、遠慮なく主役になってしまった2020年でした。

先日、本社で、ある作業をしている時、来年の干支である「牛」のキャラクターが話題になりました。その時、「今年の干支は何だっけ?」と今年の干支すら忘れている自分自身に気づき、いかにボーッと生きているか改めて認識した次第です。学校に勤務していた頃は、文章を書く時や生徒に話をするときに、干支を話題にすることもあったので、「今年の干支」を忘れることはありませんでした。いざ、学校を離れてみると、まず文書を書かないので、「今年の干支」など知っている必要は全くなく、改めて「ネズミだよなぁ?」とわざわざネットで確認している自分に、ほんの少しですが衝撃を受けています。

「ねずみ年か…」
「ねずみ」と言えば「ミッキーマウス」しかない! そこで、今回は無理矢理「ミッキーマウス」と「ディズニー」の思い出について触れてみたいと思います。

私が子供の頃から「ミッキーマウス」はありましたが、私にとっては「鉄腕アトム」や「ポパイ」と何ら変わりない普通の存在でした。
今のように、日本において、「ミッキーマウス」が他のキャラクターよりはちょっと特別な存在になったのは、やはり「東京ディズニーランド」がオープンしてからだと思います。個人的には、今から40年前、1980年にロサンゼルスのディズニーランドに行った時から、「ミッキーマウス」は私にとっては特別な存在で、その時購入した「ミッキーマウス」のバッジやキャプは、アメリカに行ったということをちょっと自慢するための貴重なアイテムでした。
こうしてみると、「ミッキーマウス」を特別な存在にしたのは「ディズニーランド」という夢の国であり、「ディズニーランド」への憧れが「ミッキーマウス」を特別な存在にしたように思います。

DSC_1005copy.jpg話は変わって、「ディズニー」という言葉が私の脳にインプットされたのは、小学校4~5年の頃に放送された、ずばり『ディズニーランド』というテレビ番組でした。日曜日の夜の7時からの1時間番組で、冒頭にウォルト・ディズニー自らが出演し、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つから、ティンカー・ベルが妖精の粉を振りかけた一つの国をとりあげ、それに関連した内容(物語)を紹介するものでした。映像が美しく、とてもリアルで、内容も濃く、あっと言う間に時間が過ぎてしまう秀作でした。その頃の私にとって、「ディズニーランド」といえば「遊園地」ではなく、この「テレビ番組」を指しました。

最後に、「ねずみ年」は「変化の多い年」と言われますが、「その通り!」と実感した1年でした。

※写真は1980年に初めてロサンゼルスの「ディズニーランド」に行ったときの写真をスマホで改めて撮ったものです。左の写真の中央にいるのが私(黒いパイレーツの帽子)です。(2020.12.15)

日時: 2020年12月15日 13:03

2020年11月30日

自転車通勤レポート3

自転車通勤をより快適にするために買い換えた部品についての報告の第2弾です。

【サドル編】
「自転車乗り」なら、誰もが通過する「お尻痛」の問題。短時間なら問題ありませんが、長時間乗っていると、必ず「お尻痛」が起こります。一旦起こると、休憩等でだましても解消することはなく、頻繁に「立ちこぎ」をしてごまかすしかありません。

《タオル作戦》
高校2年生の夏に酒田市をベースにして庄内をツーリングをしました。天候との兼ね合いで、きついとわかって実行した二日間の強行日程。一日目は鳥海ブルーラインを鉾立(五合目)まで登り、象潟を経由して戻る。二日目は新潟県境に近い鼠ヶ関往復。その結果、鼠ヶ関からの帰路、由良坂あたりで「お尻痛」が我慢の限界を超えました。持っていたタオルをたたんでサドルにしき、だましだまし帰ったのですが、「タオル作戦」は全く効果なしでした。

《レーサーパンツ作戦》
自転車専用の服装に「レーサーパンツ」があります。ピチッとしたスパッツ(ハーフパンツが主)の股間部分に、スポンジ入りのパッドが縫い込んである代物です。初めて買ったのは、35年くらい前で、今と違い、パッド内側の直接肌に当たる部分の素材は「羊皮」でした。今は、通気が良い化学繊維素材で、パッドもスポンジだけでなく、ショックを吸収する「ゲル」 も入っています。
私のジジイ度が進んだ約10年前、2時間も乗っていると「お尻痛」が発生し、家にたどり着くまで大変だったので、人生2本目の「レーサーパンツ」を買いました(レースには出ません)。
『効果あり!』。100%解消されたわけではありませんが、半日くらいのツーリングでは、「お尻痛」に悩まされることはなくなりました。今年、新たに4枚追加購入し、自転車通勤の際も、かなりの頻度で「レーサーパンツ」を着用しています。

DSC_1000copy.jpg《知らなかった…サドルの進化》
今年の9月、東京の自転車販売店から届いた広告メールを開くと、「お尻の痛みが出にくいサドル」という画面がドーンと出てきました。そのサドルは、なんとサドルの中央部分に穴が開いているのです。この時、初めて「穴あきサドル」の存在を知りました。
調べてみると、かなり前から(10年以上か…)穴あきサドルは存在し、いろいろなメーカーが様々な穴あきサドルを作っていました(種類も多く、価格もピンキリです)。
9月、好天に恵まれた週に5日連続で自転車通勤したことがありました。レーサーパンツを着用していましたが、さすがに、ちょっとお尻に違和感を感じ、「やばいかな?」と思っていたそんな時に、この広告メールと出会ってしまったのです。早速、ネットで注文しました。
『穴あきサドル恐るべし!』。異次元の感覚。想像以上のフイット感。早く知っていれば…。今、「レーサーパンツ」と「穴あきサドル」で快適に自転車通勤しています。(2020.11.30)

日時: 2020年11月30日 11:42

2020年11月12日

新聞配達

私は小学校6年生の1月から中学校2年生の9月までの1年8ヶ月間新聞配達をしていました。

やるきっかけは、友人が新聞配達を手伝い始めたことです(友人の兄が新聞配達をしていた)。夕刊配達だったので、学校から帰宅すると、遊び半分で、何人かの同級生と一緒に配達に付き合っていました。しばらくすると「本格的に配達をやってくれないか」と新聞販売所の店主から頼まれ、数名の同級生とともに夕刊配達(手伝いではなく一人ひとり配達地域が割り当てられた本格的なもの)を始めました。
1ヶ月後、同級生は次々と離脱していきましたが、私は配達先のいろいろな方から励ましの声をかけていただいていたことや、店主からの強い依頼もあり、断り切れずに続けました。
※小中学生の新聞配達は『労働基準法56条』により手続きを踏めば可能です。

部活動も始まるので中学校入学を機にやめようと思っていたのですが、「何人かの中学生も朝刊配達をしているのでやってくれないか」と店主に強く頼まれ、またまた断り切れずに朝刊にシフトを変えて新聞配達を続けました。
毎朝、5時に起床し、販売店に向かいました(1年8ヶ月で休んだのはボーイスカウトのキャンプの2日間だけでした)。約60軒分の新聞を数え、チラシを挟み込み(結構大変な作業です)、販売店を出発。配達を終えると直帰し、6時半前に帰宅。6時半からラジオの「基礎英語」を聴くという、自分で言うのも何ですが、絵に描いたような理想的な生活をしていました。

DSC_0975copy2.jpg新聞配達で一番辛かったのは、11月から12月末くらいまでの「雨」の日でした。
10月に入ると、朝刊配達の時間帯はギリギリセーフの明るさですが、11月になると結構暗くなり、12月になると朝刊なのに「夜間」配達のようになります。
本当に夜だと、9時頃まではほとんどの家は玄関や部屋の明かりがついていますが、朝は玄関の明かりがほとんどついてないので真っ暗です。そこに雨が降ると、まさに「暗黒の世界」となります(注:個人的な感想です)。
雨の日は、雨ガッパからしたたり落ちる雨粒がとても冷たく、自転車のハンドルを握る素手(雨で手袋が濡れると新聞をつかんだ時もっと濡れてしまうので素手でした)がかじかみました。
今は、雨の日の新聞は、1部ごと薄いポリ袋状態に包装されて配達されますが、私が中学生の頃はそんな物はありません。約60部の新聞全体を、厚めの大きなビニールで覆って、雨で濡れないようにして(新聞を守るようにして)移動し、新聞の束から1部を抜き取り、濡れないように素早くポストに入れる作業を、真っ暗な冷たい雨降りの中でやることは大変辛いことでした。
明確な目的があって新聞配達を続けたわけではありませんが、この貴重な体験は自分自身をとても強くしたと思っています(修学旅行で4日間休むことをきっかけに新聞配達を終了しました)。

今現在、毎朝、「ご苦労様」と心でつぶやいて新聞をポストから取り出しています。(2020.11.12)

日時: 2020年11月12日 13:40

2020年11月02日

自転車通勤レポート2

今回は、自転車通勤をより快適にするために買い換えた部品について報告したいと思います。

【ペダル編】
《高校生の時買った自転車》
「自転車通(つう)」のペダルには「トークリップ&ストラップ」という部品が取り付けてありました。ペダルと足をしっかり固定することでパワーロスをなくし、効率よく走るための部品です。「自転車通」を装って、私もつけていました(※トークリップ&ストラップとは、スリッパの前のつっかける部分がペダルについているといった感じの部品)。

DSC_0983copy.jpg《20代後半に買った自転車》
「ツール・ド・フランス」に魅せられて、ようやく普及し始めたビンディング式ペダル(その中でも格好つけてLOOKのペダル)を東京の自転車店から取り寄せました。スキーのビンディングのように、強く踏み込むと、シューズの底に取り付けた金具が「カチッ」とはまり、かかとを横にずらすと外れるという優れものです。乗り始めの頃は、「カッコイイ! グレッグ・レモンになったようだ」と大変自己満足をしていました(※グレッグ・レモン:アメリカ人初のツールドフランス総合優勝者。その後も2回総合優勝する)。
しかし、怖いことも徐々に経験し始めました。「立ちゴケ(交差点などでビンディングが外れず自爆〔転倒〕すること)」という業界用語があります。私も、「あれっ? 外れない」やブレーキをかけて停まったとき「やばい! 事前に外すのを忘れていた」という理由で「立ちゴケ」寸前の恐怖体験を何回かしました。

《50歳で買った自転車》
「立ちゴケ」の恐怖から、ビンディング式ペダルなど全く考えませんでした。買ったときついていた普通のペダルを今も使っています。

DSC_0984copy.JPG《最近》
ネットでたまたま見つけたビンディング式ペダルの記事=「とても楽です」「一度使ったらやめられません」などの甘い誘惑。「外しやすい」マウンテンバイク用のビンディングもあるという道具の進化。自転車通勤も慣れてきたし、通勤経路の大半は農道とJRの脇道だという言い訳。等々で、9月から、通勤で使用している自転車2台のうち、ロードレーサーのペダルをビンディング式ペダル(外れやすいマルチクリートタイプ)に変えました。
実際乗ってみての感想は「驚くほど調子いい! 楽にスピードに乗ってしまう!」です。『はめる』方は、まだ時々もたつきますが、『外す』方は、ちょっとかかとをずらすだけですぐに外れるので安心です。また、一時停止や交差点のかなり手前でビンディングを外すように心がけているので、今のところ「ヒヤッ」とする危ない場面には遭遇していません。ただ一回だけ、馬見ヶ崎の万歳橋のたもとで一時停止したとき「やばい! 外すのを忘れていた」と慌てて足をメチャクチャ動かしたら、「あれ? 外れた」という危機一髪の場面がありました。ネットの書き込みに「このマルチクリートは横にずらすだけでなく、『もがく』と外れます」というものがあり、「本当かなぁ?」と疑っていましたが、まさに『もがいた』ら外れたので、道具の進化はすごいと改めて思いました。

今回は個人的な趣味の話になってしまいました。(2020.11.2)

日時: 2020年11月02日 11:35

2020年10月15日

熊野神社のお祭

かつて10月10日(東京オリンピックの開会式が行われた日)は祝日「体育の日」でした。2000年以降は固定日ではない10月第二月曜日となり、さらに今年から名称が「スポーツの日」に変更されました。

その10月10日の前日、10月9日は天童市久野本にある「熊野神社のお祭り」の日です。東京オリンピックの開会式を10月10日にしたのは、統計資料から晴れの日が多いから決めたと聞いています。従って、「熊野神社のお祭り」も晴れの日が多かったと記憶しています。
また、「明日も学校かぁー」という平日開催のお祭りは気分的にイマイチでしたが、「熊野神社のお祭り」だけは、必ず次の日は「体育の日」で休みだったので思い存分遊び回りました。小学校高学年や中学生になると、夕食後、またお祭りに出かけ、夜8時頃までフラフラしていました。

「熊野神社のお祭り」には多くの出店(でみせ)が並びます。一般的な神社の出店は、参道の両側に一列に並んでいるというイメージですが、「熊野神社のお祭り」の出店は迷路のような「激しい密」の状態が特色です。正方形に近い境内に、二重三重と出店が並び、境内のすべての場所が出店のテントで埋め尽くされるといっても過言ではありません。それを目当てに、多くの人が集まり、出店と出店の間の狭い通路はまともに歩けないほど「にぎやか」な状況で、小中学校の頃は、これがまた心のウキウキ感を刺激しました。

DSC_0964copy.JPG今は、お祭りで売っているようなものは1年中コンビニで買えますし、大型店は常に「にぎわい」を見せています。そのため、神社のお祭りといっても、山門に大きなのぼり旗が立っているので「お祭り」とわかりますが、出店などはまったくない、寂しい「お祭り」はめずらしくありません。
私が住んでいる地区の「加茂神社のお祭り」も同様で、出店はゼロです。熊野神社の神主である同級生が神事のために来てくれたとき、「熊野神社は相変わらずにぎやかだずね」と話しかけると、「いやいや。出店の数は結構減ってんのよう」とのことでした。
確かに、全盛期の比べれば出店の数も集まる人も少なくなっていますし、2000年から「祝日の前日」ではなくなりましたが、今でも、地元の住民だけでなく、日中から夕方にかけては小学生が、夕方から夜にかけては部活動が終わった中高校生が多く押し寄せ、相変わらずの「にぎわい」を維持しています。

残念なことに、今年はコロナのため出店は中止になってしまいました。夕方、神社に行って見ると、お参りに来る人もまばらで、巨木に囲まれた薄暗い境内は、寂しいよりは怖い感じでした。
コロナ収束後は、昔ながらの「にぎわい」を感じることができる数少ないお祭りとして、そして、私の子どもの頃の記憶をよみがえらせてくれる不変の景色として、「熊野神社のお祭り」が例年並みに復活することを祈っています。(2020.10.15)

追伸:写真はお祭り2日後の熊野神社の様子です。境内の真ん中に、社会科の授業でも教材として使わせてもらった国土地理院の「水準点(105.6m)」があります。

日時: 2020年10月15日 10:27

2020年10月01日

「K」との遭遇

「あれは何だ! 犬?→でかすぎる→やぎ?(「崖の上のヤギ以来、ペットとして脚光を浴びている)→リードがついていないし放し飼いはありえない→あっ! カモシカだ!!」
令和2年9月20日午後5時。天童市街地の真ん中にそびえる舞鶴山の山頂駐車場入り口付近の道路上で、ついに(!)初めてカモシカと遭遇しました。

私のジョギングコースの一つに、舞鶴山山頂「おおけやき」のところの展望台を折り返すというのがあります。展望台に行くまでいろいろなコースを選択できるのですが、大抵は、ヤマザワ天童中央店近くの「天童公園登口」から登りはじめ、自動車が通れる道を、建勲神社、文学の碑(イザベラバードの文学碑もある)、山頂駐車場を経由して展望台に向かうコースを利用します。
舞鶴山の各コースは、坂道なので適度な運動負荷があり、かなり利用しますが、5月下旬から9月下旬まで利用しません。理由は「ヤブ蚊」です。きつい坂道をチンタラ走っていると、どこからともなくやって来て、数匹まとわりついて離れません。それがいやで暑い季節は避けています。

ようやく涼しくなってきたので、「ヤブ蚊」の引退を確認するため、久しぶりに走ってみました。文学の碑近くのトイレから山頂駐車場までの坂道(ジョギング爺〔ジジイ〕にとっては「心臓破りの坂」)を登り切ろうとしたとき、駐車場からバーベキュー広場へ、ゆっくり移動しているカモシカと遭遇しました。カモシカとの距離、約10m。

DSC_0957copy.JPG舞鶴山は、山頂駐車場も愛宕沼親水空間も、大型犬から小型犬までたくさんの犬が散歩をしている、「犬の銀座(ちょっと古い表現か?)」です。この日も、山頂駐車場付近には多くの人と犬がいたにも関わらず、道路には作業中のおじさんがいたにも関わらず、人目を気にせず、あまりにもゆったりと「犬の銀座」を歩いているカモシカを見て「一瞬、散歩中の犬」と錯覚しても不思議ではありません。その証拠(?)に、カモシカが目の前にいることをしゃべりたくてしょうがない私は、作業中のおじさんに「あれって、カモシカですよね…」と声をかけると、「このジジイ、何を言っているんだ。こんなところにカモシカなどいるわけないだろう。犬に決まっているだろう!」という感じで、反応は冷たく、しばらく無言でした。時間にして5秒、カモシカの移動距離にして6m。ようやく作業中のおじさんは「カモシカだなぁ」と独り言のように小さい声で反応してくれました。

カモシカの角は小さく若々しい感じがしたので、子どもから大人へ成長したばかりのカモシカと思われます。大きさは、ゴールデンレトリバーの1.5倍くらい、色は濃くも薄くもない茶色でした。目と目が合いましたが、お互い単なる通行人という感じでスルーされました。
舞鶴山でカモシカを見たという話は15年くらい前から聞いていました。番(つがい)と子どもの3匹がいるらしいという話も聞きました。「市街地にあっても、山は山。舞鶴山にカモシカがいてもおかしくはない」と思っていましたが、いざ本当に遭遇してみると、「やっぱりいたんだ」とテンションがあがり、話さずにはいられません。なので今回早速取り上げてみたのでした。
※追伸 スマホ(カメラ)を持たずに走ったのでカモシカの写真なし。代わりに、昔の人間将棋広場から文学の碑近くの斜面に大群生しているヒガンバナの写真を載せました。(2020.10.1)

日時: 2020年10月01日 09:26

2020年09月15日

自転車通勤レポート1

4月から自転車通勤を始めて約半年が過ぎようとしています。4月1日のブログでも予告しましたので、自転車通勤の様子を報告したいと思います(第1弾)。

はじめに、自転車通勤を実践した日ですが、車が必要な日と雨の日以外は結構なペースで実践しています。4月は12日、5月は13日、6月は10日、7月は1日、8月は6日。天候が順調だった6月第1週は月から金まで毎日自転車通勤でした(7月はドクターストップのため約1ヶ月ママチャリすら厳禁でした。8月は夏休みと監査のため自転車通勤の機会が減少しました)。
通勤コースですが、天童市内の大半は、JRの線路の東側を並行する、ほとんど車が通らない市道を通ります(天童南駅付近から免許センター通りの清池跨線橋まで)。天童市と山形市の境界である傾斜のきつい天山橋(立谷川)を越えると、果樹園脇の農道に逸(そ)れ、漆山踏切を東から西へ渡り、漆山駅前を通過します(それから先のルートは後日お知らせします)。

《自転車通勤に係る探究型学習1…プチ開かずの踏切》
自転車通勤二日目に「プチ開かずの踏切」に遭遇しました。
漆山踏切(漆山駅のすぐ北側)を渡る直前、「上り列車」が来たため警報器が鳴り遮断機が下りました。私は遮断機のすぐ目の前で列車通過を待ちました。しかし、列車が通過し終わっても遮断機は上がりません。「連続して『つばさ』でも来るのかな?」と漆山駅の方を見ると、今にもホームに停車しそうな「上り列車」の遙か彼方に、「下り列車」の姿を見つけました。その「下り列車」がホームに到着しても遮断機は上がりません。乗客が乗り降りしている時も遮断機は上がりません。ホームに到着して1分後、「下り列車」が発車し、のろのろと踏切を通過すると、ようやく遮断機が上がりました。結果的に、「上り列車」と「下り列車」の両方が踏切を通過する4分間ちょいの時間、足止めを食らいました。朝の4分は結構もったいないです。
DSC_0941copy.JPGそこで探究型学習(?)開始です。
【設定した課題】…「プチ開かずの踏切」を避けるにはどうすればいいか。
【課題解決の方法】…私が踏切に到着する時刻を様々変えてみる(原始的な、頭脳は使わず体を使った試行錯誤)&観察&ネット等による調べ学習。
【分かったこと】
①時刻表通りなら、8時16分頃に「上り列車」が踏切を通過し、すぐに遮断機は上がる。
②時刻表通りなら、8時19~20分に漆山駅で上りと下りの列車交換が行われる。
③時刻表通りなら、8時18分頃に「下り列車」が漆山駅に近づくと遮断機は下がる。「下り列車」が踏切を通過するまで上がらない(ホーム停車中も含め2~3分は遮断機は下がりっぱなし)。
④チャンスタイム:8時16分過ぎの1~2分間は踏切を渡れる。それを逃すと上記③となる。
⑤自転車通勤二日目に遭遇した4分間ちょいの「プチ開かずの踏切」は、たまたま「上り列車」が遅れたため、「下り列車」が漆山駅に近づく時間と重なってしまい、偶然に起こったようだ。

試行錯誤の結果、今は漆山踏切到着時刻8時16分を目標にし、毎回、順調に踏切を渡っています。まさに、体力勝負ともいえる探究型学習の賜です。(2020.9.15)

日時: 2020年09月15日 09:20

2020年09月02日

September

9月になりました。英語で言うならセプテンバー。この「セプテンバー」から、個人的に一番先に連想するのは、アメリカのファンク(今は死語か?)グループ「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」の『セプテンバー』という曲です。1978年に発売された曲なので、かなり古いのですが、今でもテレビやラジオなどから流れてくることがあるので一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。巨人の阿部慎之助がバッターボックスに入るときの応援ソングに使われたり(実は私は知らなかった…)、映画『ナイトミュージアム』のエンディングテーマにも使われました。
私は、この『セプテンバー』が大好きなので、今もYouTubeで見たりすると止まらなくなってしまいます。楽しみ方は、本家の「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」の演奏を何本か見た後、いろいろな人が演奏しているのを見て、更に、この曲に合わせて踊るダンスパフォーマンスを見るという『セプテンバー』フルコースです。しばし、自分の年齢を忘れて、20歳になります。

さて、セプテンバーをネットで検索すると、結構「September11」という言葉が出てきます。皆さんご存じの通り、2001年9月11日にアメリカで起きた「同時多発テロ」のことです。
当時、私は県庁に勤務しており、いつもより少し早い午後10時過ぎに自宅に着きました。リビングのテレビに映っているのは、ビルの真ん中くらいから炎をあげている「ニューヨーク世界貿易センタービル(ツインタワー)」でした。はじめは、映画かドラマと思ったのですが、テレビ画面の「LIVE」を見て、とんでもないことが起こっているんだと事の重大さを理解しました。

DSC_0930copy.JPGこの件に関して個人的な思い出(?)を二つ書きます。
一つ目。「いつかニューヨークに行って見たい!」と思っていた私にとって、2本並んでそびえる世界貿易センタービルはニューヨークの象徴でした。大学時代に見た映画『ニューヨーク1997』で主人公のカート・ラッセルが人質救出のためグライダーで着地したのがこのビルでしたし、ニューヨークの摩天楼の中でも一際高くそびえているのがこのビルでした。「今から旅行で訪れても、もう見ることはできないんだ」「早く行けばよかった」と不謹慎にも残念に思ったことです。
二つ目。当時、天童の我が家は「毎日新聞」をとっていました。翌朝、9月12日のトップ記事は「国内初の狂牛病の疑い」でした。しかし、県庁に配達された毎日新聞のトップ記事は「同時多発テロ」で、燃えさかる世界貿易センタービルの写真が大きく掲載されていました。配達地区によって、印刷される「版」が違うことは知っていましたが、「狂牛病」と「同時多発テロ」の違いは、天童市と山形市の違い、「ド田舎」と「プチ都会」の差となって、私に精神的な落ち込みを与えました。唯一の救いは、河北町から来ている同僚のお宅も毎日新聞で、トップ記事が「狂牛病」だったのですが同僚は沈黙を守っていました。その後、私が「狂牛病」と「同時多発テロ」の違いを職場に触れ回ったことに安心したのか、「谷地も狂牛病でした…」とカミングアウトしたことでした。

9月は急激に夕暮れが早くなります。暑さは和らぐ分、なんかさみしい気持ちになります。いよいよ秋です。今年は、「天高く馬肥ゆる秋」を言い訳にしない、「スポーツの秋」にしたいと、今は心に誓っています。(2020.9.1)

日時: 2020年09月02日 09:16

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