山形教育用品株式会社 - 豊かな郷土山形を愛する子どもたちのすこやかな成長を願っています。

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2020年07月01日

七夕と花山の星空

暦年でいうところの1年の半分が過ぎ、いよいよ後半の7月です。本格的な梅雨空とムッとする蒸し暑さが続き、私にとっては苦手な季節です。7月という言葉から思い浮かぶのは「七夕」です。また、それに関連して「天の川」や「織姫と彦星」など星空に関したことも思い浮かびます。
 
まず、「織姫と彦星」に関して余計な話を一つ。仙台をホームタウンとするサッカーJ1クラブ「ベガルタ仙台」のベガルタは、仙台名物の七夕にちなみ、「織姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ (Vega)」と「アルタイル (Altair)」を合わせた造語です。
ベガルタ仙台の前身は東北電力サッカー部で、創部3年目の1991年から東北社会人サッカーリーグにおいて3年連続2位となり、1994年にプロサッカークラブ「ブランメル仙台」を立ち上げました。ちなみに、3年連続優勝したチームはモンテディオ山形の前進であるNEC山形サッカー部でした。

今回のメインの星空にもどります。今、全く雲のない、透き通った夜空を見上げても、見える星の数はとても少ないと思います。ご存じの通り人工の明かりが増えた影響です。金星はもちろん、北極星や北斗七星ははっきり見えますが、私が子供の頃は見える星の数はもっと多かったと思います。また、天の中心部分の星は見えますが、地上に近い端の部分に星を見ることはできず、星空が狭くなったような(?)感じがします。

DSC_0910003.JPG20年以上前の話になりますが、当時勤務していた山形七中の2年生は、毎年5月、宮城県の栗駒山近くの「国立花山少年自然の家」での2泊3日の宿泊学習が恒例でした。花山少年自然の家は、奥羽山脈の山奥にあり、人里から遠く離れた本格的な自然の家です。1日目の夜のプログラムは定番の「夜間ハイキング」です。夜間ハイキングは真っ暗なコース(山道)を懐中電灯は持たずに行動するため、どうしても足下だけに注意がいきます。そのため、空を見上げる余裕などありません。コースを回り終わった班から中央広場で他の班の到着を待ちますが、暗闇で怖いので隣同士で話はしますが上を見ることはありません。全部の班が到着し、静かになったところを見計らって、「上を見てごらん」と声をかけると、「ウワー」という大歓声が上がります。山形市では見ることができない、降ってくるような星空に生徒は驚きます。恐ろしいほどの数の星が花山の天空を埋め尽くしています。天の中心はもちろん、自然の家の周りの木々にくっつくように端っこまで星が見え、「まるで宇宙にいるような星空」を体験した瞬間でした(残念ながら、山形県からの、花山少年自然の家の利用は年々減少し、現在はほんの数校だけとのことです)。

9年前に同じ体験をしました。東日本大震災が発生した直後、県内のほとんどが停電になった真っ暗な夜のことです。時々雪が降ってくる曇り空でしたが、帰宅許可が出た夜7時、鳥海小・中中学校の昇降口を出た時、偶然にも雪雲が切れ、「こんなに星ってあるのか!」という星空を見ました。人工の明かりが消えると、原始の星空が、すぐに現れるんだと思いました。

山形市内では、花山の星空みたいに、降ってくるような星空は見られませんが、たまには「七夕」の夜、星をのんびりと眺めるのもいいかもしれません。(2020.7.1)

日時: 2020年07月01日 13:47

2020年06月22日

あなたは熊ですか?

時は6月21日、午後2時30分。場所は東根市の北東にある堂の前公園。沼を一周する遊歩道(1周500m)をウオーキングしている時です。沼の一番奥、遊歩道と山に向かって斜面になっているところの間に、人の背丈の1.5倍ほどの高さまでツツジの木が群生しているところがあります。その茂みの前を通過しているときです。
「む!!!」。ツツジの茂みが揺れています。「バキバキ」と枝が折れる音がします。一緒に歩いている配偶者にアイコンタクトを送り、茂みが揺れているところを指差しました。茂みの揺れと「バキバキ」という音は続いています。「何かいる!」。声を出さず、足音を立てないように、走らず、でも早足でその場を離れました。時々振り返りながら安全を確認し、沼のちょうど反対側の駐車場まできてから、しばらくその茂みを見ていました。その時、ちょうど茂みの前を歩いている男性が突然びっくりしたように立ち止まり、茂みの様子を見ながら静かにその場を離れていきました。私たちだけではない。確かに何かいる! その後数分間、茂みを見ていましたが、正体は何なのか結局不明のままです。「バキバキ」の音からして小動物ではなさそうです。堂の前公園は以前から熊の目撃情報があり、いたるところに「熊出没注意」の看板が立っています。本当に熊だったら、ちょっと危なかった!

DSC_0847%20%28002%292020.JPG思い出した熊の話をもう一つ。
今から10年ほど前、山辺町の山中、鳥海小・中中学校に勤務していたときです。晩秋の頃、グラウンド脇の山道に熊の糞を発見しました。すぐ町役場に連絡をしたところ、「熊注意」の蛍光カラーの「のぼり旗」が多数設置され、見通しをよくするため校地に隣接する雑木は、一週間ぐらいかけて全てきれいに伐採してくれました。さらに猟友会の方が熊を捕獲する罠を校地から100mくらい離れた山中に設置してくれました。
学校としての対策は、班で登校する小学校の児童には、班長に「熊よけベル」他は「熊よけ鈴」を、個々に登校する中学校の生徒には全員「熊よけベル」を配布しました。
毎朝、登校班を迎えるために歩いていた私は、車から降りるとすぐにサッカー審判用の強力ホイッスルを力一杯吹きながら学校を出発し、途中の町道では大きな「熊よけベル」を鳴らしながら歩きました。
また、小学生が下校する時はまだ明るいのですが、中学生が下校する時は日が暮れて真っ暗です。そこで、しばらくの間、学校を取り囲む漆黒の山と森林に向かって、グラウンドのスピーカーから大音量で『タイム・トゥ・セイ・グッバイ(イギリスの歌手サラ・ブライトマンで有名)』を流し、熊にも帰宅を促しました(?)。結局、学校の近くで熊を見たことはなく、また、熊を見たという情報もなく、糞だけが唯一の根拠で、雪が降るまで大騒ぎをしました。

今年は、熊出没のニュースや熊注意の県警からのメールがとても多いです。人家近くの里山でも多くの熊が目撃されています。今後、熊が出そうなところに出かける場合は、熊よけベル(鈴)を持参したいと思います。皆さんも十分注意してください。(2020.6.22)

日時: 2020年06月22日 14:19

2020年06月01日

衣替え

6月1日というと最初に思い出されるのは「衣替え」です。「衣更え」「更衣」とも表されますが、古くは平安時代から始まった日本の文化の一つです。
今は、地球温暖化の影響もあり、5月から夏の服装へ移行することも多く(クールビズも5月から始まっています)、6月1日を契機に服を替えることは少なくなったのではないでしょうか。

その「衣替え」が、特に「6月1日の衣替え」が今も残っているのが学校です。学校といっても、制服がある小学校は一部なので、中学校と高校のみといってもいいのではないでしょうか。この頃は、5月でも暑い日が多く、気持ち的にはすでに夏なのですが、白い制服姿の生徒たちを見かけると、「いよいよ本格的な夏が始まるのだなあ」と改めて感じます。

DSC0196420200601.JPG時代とともに服装に関する考え方もどんどん変わり、流行はあると思いますが、それに縛られることなく、自分の好きなものを自分らしく着る社会になってきたように思います。
その流れからすると、当然、学校の制服もなくなり私服に変わっていくだろうと思っていましたが、意外に学校の制服は根強く残っています。はっきりした理由はわかりません(かなり前に、私服登校の日を設けた中学校の話です。最初、生徒は喜んだのですが、次第に着ていく服に困り、制服の方が他人の目を気にすることなく安心だということで私服登校の日は廃止されたそうです)。

制服といっても、私が中学校、高校の頃に比べれば自由度は大きくなっています。高校の夏服ですが、ポロシャツ着用可能な学校が多くなっているようです。色も、白に限らず、紺、黒、グレーなどの地味な色なら可能なようです。中学校でも、2年前にポロシャツを導入した学校があります。また、「衣替え」の時期も、暑かろうが寒かろうが6月1日から一斉に夏の制服に切り替える昔と違い、前後1週間程度の移行期間を設けている学校がほとんどです。

変化の激しい現代社会の中で、少しばかりの自由が加わりながら、中学校と高校の制服は今も生き続けています。そのお陰で、「衣替え」という季節を感じる文化を忘れずにいることができます。もし、中学校と高校の制服が無くなったら、「衣替え」の言葉も廃れて、日常から消えてしまうのでしょうか。そう考えると、衣類の一種としての「単なる制服」ではなく、日本古来の文化の一つ「衣替え」を守っている「文化の継承者」のようにも思えてきます。(2020.6.1)

日時: 2020年06月01日 11:21

2020年05月19日

知らなかった…簡単に見られるISS

字数の関係でタイトルに「ISS」と使ってしまいましたが、本当は「国際宇宙ステーション」と書きたかったのです。「ISS」は「国際宇宙ステーション」=「International Space Station」の略語です。

5月17日の夜7時50分頃。スーパーに買い物に行って、自宅から少し離れた私の駐車場に車を駐めて歩き始めたときです。突然の「こんばんわ」の声。「チコちゃん」に怒られそうな感じで、無防備にぼーっと歩いていたので、不意を突かれた形になり、なかり驚いてしまいました。声の主は、駐車場向かいのSさんの敷地の暗闇にいます。少し目が慣れてくると人影がわかるようになり、電灯が消された玄関先にSさん家族が座っているのが確認できました。

「こんばんわ」と私も挨拶を返しましたが、夜に、意図的に電灯を消して真っ暗にして、家族全員が玄関の階段に座っているという状況に興味をもたないほうが不思議です。当然、「何をなさっているのですか?」と尋ねてみました。すると「国際宇宙ステーションが今から通過するので見ているんです」という、これまた意表を突く答えが返ってきました。

「南西の方角から見えてくるらしいです」という言葉に続いて「あれかな?」というSさんの指さす方向を見上げてみると、金星のように明るく輝く丸い物体が、結構な速さで、天空の中心部分に向かって移動するのが見えました。予想外の大きさ、速さ、はっきり見える等々で、私のテンションも上がり、全速力で自宅に戻りました。家族にふれ回り、あわてて双眼鏡を持って再び外に飛び出しました。

時間にして約3分。南西の空から、天空の中心部を通過し、北東の空に消えて行きました。天空付近を通過するときが一番大きく輝いていました。双眼鏡で見ても、星のような点にしか見えませんでしたが、初めて見た国際宇宙ステーションは、想像以上にはっきりと見え、大変満足な天体観測?になりました。

探究型学習開始。国際宇宙ステーションについていろいろ調べて見ました。
地上約400km上空を、時速27,700kmで移動します(ISSは秒速7.7km。ライフル銃の弾の初速度が秒速2.5~3km。弾より倍以上速い!)。地球を約90分で1周するので、1日で約16周します。このように、国際宇宙ステーションは常に地球を回っているので、2週間から1ヶ月おきぐらいに、数日から1週間ぐらい日本で見ることができます。今回見逃した方はあと見られないと言うことではなくて(数年に1回しか見られない彗星などと違う)、これからも定期的に見られると言うことです。

インターネットで「国際宇宙ステーション 見える」で検索すると、次に見られる日時や方角が紹介されています。興味のある方はぜひ、次の星空の時に見てはいかがでしょうか。(2020.5.18)

日時: 2020年05月19日 09:04

2020年05月08日

五月晴れの朝日連峰

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出された今年のゴールデンウィーク。ステイホームが全国的に浸透し、ここ山形でも、例年とまったく違う閑散としたゴールデンウィークとなったようです。

%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%88%E7%B5%B5%EF%BC%8920200508.JPGさて、教育用品本社の応接室に一枚の絵が飾られています。前からあったのですが、意識しなかったので存在さえも気づきませんでした。4月中旬。「あれ? 大朝日岳と小朝日岳の絵?」と急に絵が目に飛び込んできました。絵に関する説明らしき物が見当たらないので、勝手に朝日連峰と思っています。実は、9年前のあることをきっかけに、朝日連峰をとても強く意識して見るようになりました。

平成24年。村山教育事務所に勤務した年です。村山教育事務所管内に新規採用された教員の「初任者研修」の一つに、小朝日岳登山がありました(8月上旬、朝日少年自然の家での2泊3日の合宿研修があるのですが、2日目にこの登山がありました)。山形県人なら一回は朝日連峰に登ってみたいと思っていましたが、機会がなくあきらめかけていた時に巡ってきたチャンスです。当時54歳だった私は、年齢から登山はパスされていたのですが、指導者の一人として無理矢理参加させてもらいました。
登山当日、6時頃、自然の家のバスで古寺鉱泉まで行き、そこから登山開始です。急な山道を登りっぱなしという感じで、昼前にようやく小朝日岳山頂に到着しました。さすがに奥深い山で、どこをどう登っていったのか今もって不明です。唯一わかったランドマークは、山と山の間から見えた山形自動車道の白く光る橋脚だけです。また、山頂で昼食を取った時、大朝日岳が結構近くに見えたことをはっきり覚えています。帰りは、同じ道を下ったのですが、登り以上に急坂がきつく、かなり体力を消耗したので、古寺鉱泉に到着した時は結構ヘロヘロでした。

それ以来、晴れた日に朝日連峰が見えると、「あれが大朝日かな? だとすると、あれが小朝日? いや違うかな?」と意識して朝日連峰を見るようになりました。いろいろな場所から角度を変えて眺めては、勝手に「小朝日はあそこだ」と決め、数秒後には「あんなに低かったのかな? やっぱり違うな!」と繰り返している次第です。

今年の連休も快晴の日が多く、朝日連峰の白い山脈が見えると、いてもたってもいられなくなり、「3密」を避ける工夫をして出かけました(工夫:交通手段=愛車(自転車)。人のいない所を行く=裏道、畑、田んぼを行く。眺める場所=誰もいない堤防)。今は、サクランボやりんごの白い花が満開でとてもきれいです。私のお気に入りの場所「最上川の右岸堤防」の上を走りながら、新緑の中、青い空にひときわ映える白い朝日連峰を満喫しました。1年の中で、今しか味わえない最高の景色です。(2020.5.8)

日時: 2020年05月08日 16:45

2020年04月14日

YAMAGATA2020の桜

4月11日(土)と12日(日)は、おだやかに晴れ渡り、山形市の桜はほぼ満開となりました。

DSC019492.JPG例年であれば、土日と桜の満開が重なれば、多くの市民が「花見に出かける」となるのですが、今年は新型コロナウィルスが「希望の春」を大きく狂わせ、花見も今までのようにはいかなくなっています。3月末に山形県内でも初の感染者が出ると、あっという間に感染者数は30人を越えました。そして、山形市でも感染者が確認されたことをうけ、花見の名所「霞城公園」が、桜の時期だけ閉鎖されました。本社のすぐ近くの馬見ヶ崎川の左岸堤防と沖東公園の桜も満開で大変美しい景色が広がっていますが、歩いている人のほとんどがマスク姿だということに、今年は特別な春だということを改めて感じます。

学校の桜に関する話を二つします。

12日(日)の午後2時頃。車で、ある県立高校の校門前を通りました。校門の桜も丁度満開で、太い幹と大きな枝振りから「歴史ある桜の木なんだろうな。多くの卒業生がこの桜を見たんだろうな」と思いながら通過しました。少し進むと、グラウンドの桜をバックに、母親と思われる女性が娘さんと思われる女性の写真を撮っていました。数枚撮ると大急ぎで路駐してある車にもどっていきました。私の勝手な想像ですが、今春高校3年生の娘さん。本来は高校生活最後の桜を見ながら新学期をスタートするはずだったのに。学校が臨時休校のため、見ないうちに散ってしまうのは残念。せめて写真でも…と撮っていたのではないか。そう思うと、ちょっとかわいそうな気持ちになりました。

DSC019512.JPG12日(日)の午後4時頃。自転車で自宅のすぐそばの小学校前を通りました。私はこの小学校の卒業生です。今、桜が満開です。本当にきれいです。私が小学生の時からある桜の木ですので、結構太く大きく、桜の季節は花が歩道にドンとはみ出しています。500m先からも、満開の桜がわかるほどです。いつもの年ならば、多くの児童が登下校の時に、この桜を見上げて「つぼみが開いた!」「満開だ!」「花吹雪もきれい!」という歓声を上げたのではないでしょうか。
でも、今年は、残念ながらその光景を見ることができません。「今年もきれいに咲いたのに、初めて子ども達に見てもらえないんだね」と桜を見上げて思いました。(2020.4.14)

日時: 2020年04月14日 14:17

2020年04月01日

今日から新年度

4月1日。官公庁や学校、一部の企業は、今日から新年度です。新型コロナウィルスが今後どうなるのか先の見えない状況の中で、例年とは違う、不安な中でのスタートとなりました。

山形教育用品は1月開始、12月終了の会社ですので、初めて4月1日を普通の日のように送っています。というのも、私自身、幼稚園から退職するまで何らかの形で学校に関わっていたので、4月1日が1年間のスタートという生活をずっとしてきました。学校に勤務していた頃は、辞令交付があったり、新年度最初の職員会議があったり、初めて出会う先生方との会話だったりと緊張して、この特別な4月1日を過ごしてきたからです。

さて、4月1日は、新年度に向けて希望に胸を膨らませている児童生徒にとって新たな決意の日でもあります。私も、これにあやかり、新たな目標を立ててみました。他の人から見れば、どうでもいいような、くだらないことですが、ブログに載せること =(イコール) 外に向かって「宣言」することで、逃げられない状況を作ってみようという作戦です。

その目標とは…。俳優「中川大志」が出ている補助食品のCMで、「自転車通勤をはじめた」というのを時々テレビで見ますが、それと同じで「雨の降らない日は、天童から自転車で通勤する」です(自転車通勤していた前飯野社長の影響も大です)。

%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%8A4.jpg私は自転車が好きで、今もサイクリングを楽しんでいます。歴史は古く、小学校3年の時に5段変速のスポーツ自転車を買ってもらったことから始まります。小学生の分際で、山寺や谷地の動物園に出かけたり、舞鶴山の桜を見に山を駆け上がったりしました。高校入学時に、12段変速のドロップハンドルの自転車を買ってもらい、早速、新庄かど焼き祭りに行き、その後、鳥海山5合目~鼠ヶ関、蔵王刈田山頂など体力勝負の所へ遠出しました。教員になってからはクロスバイクとロードレーサーを買い、レースにも出ましたが、趣味のサイクリングが私にはふさわしいことを痛いほど思い知らされました。県庁勤務の時に、またクロスバイクを買い(今使用している)、夏場のエコ通勤デーの金曜日だけ通勤していました。

自宅から本社までは11kmちょっとです。交通事故防止のために、交通量の少ない裏道(JRの脇道、田んぼの中の農道など)を通います。天童から山形までの自転車通勤は大変そうに見えますが、多くの高校生はこの程度の距離を毎日自転車通学しています。まずは、楽しみながら続けたいと思います。しばらくしたら、中間報告をしたいと思います。(2020.4.1)

日時: 2020年04月01日 10:38

2020年03月11日

忘れられない日 3.11

3月11日は忘れられない日です。あれから9年経ちます。

3年前の平成29年3月11日。朝6時40分頃。県庁に向かう車の中でラジオ(NHK第1放送)から流れる東日本大震災に関連する番組。その中で、ある1冊の本が紹介されました。「16歳の語り部」という本です。震災当時、東松島市立大曲小学校の5年生だった3人が、高校生になったときに、封印していた震災の体験をようやく語り出した内容を綴った本です。

震災発生から報道される内容は、そのほとんどが大人の目線からのものでした。しかし、同じように心の傷を受けた子ども達の目線からの報道はほとんどありませんでした。「復興に懸命にがんばっている大人の邪魔になるから」「話題にすることで、家族を亡くした悲しみを再び呼び起こしてしまうのではないか」などの気遣いから、自分の思いや苦しみを語ることはやめようと心に誓い、長く自分の心に蓋をしてきた子どもは多かったのではないでしょうか。

この本の3人も、心に蓋をし、じっと沈黙を守ってきたのでした。高校生になって、堂々と震災体験を語り、少しでも今後の防災に役立てられればと活動する他の高校生との出会いを通じて、「体験を話してもいいんだ」と心を解放し、それを契機に体験を語り始めたのでした。

私が、この本の中で一番衝撃を受けたのは、著者の一人、雁部那由多さんの体験です。地震発生後、いったん家にもどったのですが、すぐに家族とともに大曲小学校へ避難しました。3階の図書館に避難したのですが、ガラス片などで血だらけになった内履きを履き替えるため、置きっ放しにしていた新品の靴を取りに、一人で昇降口に行った時です。どす黒い大きな波が、横から押し寄せました。目の前を大人が5人流されていきました。その中の一人の男性が雁部さんに向かって手を伸ばしてきました。届くかもしれない距離。しかし、「この手をつかんだら、自分も死んでしまう」と直感し、目をそらし、口をグッとかみしめ、振り向き、階段をかけあがりました。この辛い体験を、雁部さんは誰にも語ることができず、高校生になるまでしまい込んでいたのです。

昨日(3月10日)インターネットに20歳の大学生になった雁部さんの記事を見つけました。本を出版してから、あの手を伸ばして流されて行った男性の遺族と会ったことが書かれてありました。本を偶然手に取った遺族が、「うちの人ではないですか」と雁部さんに連絡をとり、服装や状況が一致したそうです。遺族の言葉に雁部さんは驚きを隠せませんでした。「きっとあなたが最後に見たんですよね」「(このことを)語ってくれてありがとう」という感謝の言葉だったのです。贖罪の気持ちを持ちながら体験を語り続けてきた自分の心が、その言葉によって少しだけ軽くなったそうです。

昨年は、偶然にも振替休日。大雨の中、災害ボランティアで活動した「亘理町」と「岩沼市」で3月11日を迎えました。今年は山形市で3月11日を迎えます。私にとって3月11日は、9年前から、生き方を考える大切な日となっています。(2020.3.11)

日時: 2020年03月11日 16:05

2020年03月03日

よろしくお願いします

新任のご挨拶を申し上げます。去る2月の第64期定時株主総会において、代表取締役社長に選任されました阿部善和(あべよしかず)と申します。役員、社員と共に、精一杯務めてまいりますので、これからも山形教育用品に対しまして、温かなご支援、ご指導をよろしくお願い申し上げます。
また、長年にわたり会社の発展にご尽力いただき、2月をもって退任されました、飯野恭伸前社長には、深く感謝と敬意を表したいと思います。誠にありがとうございました。

突然ですが卒業式の話をします。私は、昨年の3月まで、教員として中学校に勤務していました。大学を卒業して、初めて教壇に立った年に3年生を受け持ちました。無我夢中で過ごした1年間。うれしいことや悲しいことなど多くのことを生徒と共に経験しました。その1年間の最後の日、教員としての初めての卒業式は今でも忘れられません。式の最後に歌う卒業生合唱に完全にやられました。ほとんどの生徒が泣きながら歌う中、拳で溢れる涙を拭きながら全力で歌う男子生徒の姿に強く感動し、私も涙をこらえることができませんでした。

昨年は教員生活最後の卒業式。校長として、卒業生一人ひとりに卒業証書を手渡しながら、私も一緒に卒業だなと思うと感慨深いものがありました。式の終盤に、卒業生からの呼びかけと歌の披露が在校生と保護者に向けてあります。感動の場面ですが、教職員席からは残念ながら卒業生の後ろ姿しか見えません。ある意味主役のもう一人である卒業担任は席を立って中央で卒業生を見ますが、校長はおとなしくしていなければならないと思い、一昨年は席から動きませんでした。しかし、昨年は最後なので、図々しくも卒業担任と一緒に中央で見ました。最後に卒業生の顔を見られて満足と終わるはずでした。しかし、予想しないことが起きました。呼びかけの最中、突然「校長先生も私たちと一緒に卒業ですね。ありがとうございました」というサプライズがあり、一気に涙腺が崩壊し、人目をはばからず大泣きしました。

今回は載せませんでしたが、その間の卒業式も、すべてが感動的で、思い出深いものばかりです。

3月、代表取締役社長として勤務を始めたとたん、全国の小中学校、高等学校、特別支援学校が、春休みまで一斉に臨時休校になるという前代未聞の状況になっています。卒業学年の児童生徒と担任の先生方は、あと2週間と数日に迫った卒業式に向けて、大切な時間を過ごすはずだったと思います。卒業式に向けて準備してきたこと、クラスでのお別れ会、仲間や先生方ともっと話したかったこと…。「なぜ自分たちの時だけ」と悔しい気持ちで一杯だと思います。

在校生や保護者のいない卒業式になるかもしれません。歌も十分に歌えない卒業式になるかもしれません。せめて、一生に一度しかない卒業式が、仲間や先生と会える最後の卒業式が、一人ひとりの胸に刻まれる想い出深い卒業式になることを心から願っています。(2020.3.3)

日時: 2020年03月03日 17:12

2020年02月20日

一歩一歩、坂道を登るように

 梅二月 ひかりは風と ともにあり (西島麦南)

季節は「雨水」です。暖冬と言われた今冬は、毎日「雨水」のような天気が続きました。これほど雪が少なかった年は記憶にありません。今年の冬はよかったなと思う人も多い反面、雪で商売をされている人、スキー教室を楽しみにしていた子ども達にとっては、とても残念な冬だったかもしれません。
県教育長を務められた木村宰先生が、「適度なストレスが大切だ」と話されたことを記憶していますが、気候でも人間関係であっても、何事も適度なことが大事だなと思います。
 
00220200220.jpg本社の前に、東西に走る道路があります。この道路、ちょっと傾斜して坂になっています。「雨水」ではありませんが、雨が降ると東から西に雨水が川のように流れます。
昔の話になりますが、校長会の会誌に同期のT校長が「山形市は坂が多い」という、なかなか目のつけどころがおもしろい文章を載せていました。
確かに山形市は坂が多い町です。それは当然で、山形市は典型的な扇状地の上に発展した町だからです。扇頂部の山形蔵王インターチェンジ付近は標高は226メートル、扇端部の南沼原小学校の標高は116メートルです。扇頂部と扇端部の標高差はおよそ110メートルにもなります。霞城セントラルの高さが114メートルですから、扇頂と扇端では超高層ビルほどの差があるわけです。
高校時代、自宅がある扇端部から扇頂部にある学校まで、必死で自転車をこいで通ったことを思い出します。

「人生は坂と同じ」と言われます。会社の業績も坂と同じです。上り坂もあれば下り坂もあります。
第64期の決算がまとまりました。きわめて厳しい営業環境ではありましたが、きちんと黒字決算が出されたことは本当にうれしいことです。これも、営業担当のみならず、全役員、社員がそれぞれの立場で職責を果たしてくれたお陰だと感謝の念でいっぱいです。
今期第65期も、会社を取り巻く環境は児童生徒数の減少や小中学校の閉校など、厳しい状況に変わりはありません。しかし、チャンスも多い年だとも言えます。
小学校新学習指導要領の完全実施、同じく小学校新教科書の使用開始、文科省のGIGAスクール構想の整備開始、さらには県内小中高校の設計・改築等々、教育変革の年とも言えます。
00120200220.jpgそのような教育界の「流行」の部分を見逃さずにチャンスとして生かし、新学期テスト類の教材販売や図書展示会による学校図書販売など、「不易」の部分の強化を図っていくことが今期の重要な課題かなと思います。

山形教育用品は子ども達や先生、学校や教育委員会のニーズにしっかりと応えることができる力を十分に持ち合わせています。下り坂の時はじっと耐え、これまでの戦略を見直し、上り坂の時はおごらず、さらに先を見据える。これからも扇状地の扇端部から扇頂部まで坂を登るように、一歩一歩、たゆむことなく着実に、確実に、歩みを進める会社でありたいと思います。
ただし、大沼デパートのように、人生3つ目の坂と言われる「まさか」とだけはならないよう、くれぐれも心してかからなければ゙…。(2020.2.20)

日時: 2020年02月20日 17:16

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