山形教育用品株式会社 - 豊かな郷土山形を愛する子どもたちのすこやかな成長を願っています。

山形教育用品株式会社 私たちは、豊かな郷土山形を愛する子どもたちのすこやかな成長を願っています。
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2020年02月20日

一歩一歩、坂道を登るように

 梅二月 ひかりは風と ともにあり (西島麦南)

季節は「雨水」です。暖冬と言われた今冬は、毎日「雨水」のような天気が続きました。これほど雪が少なかった年は記憶にありません。今年の冬はよかったなと思う人も多い反面、雪で商売をされている人、スキー教室を楽しみにしていた子ども達にとっては、とても残念な冬だったかもしれません。
県教育長を務められた木村宰先生が、「適度なストレスが大切だ」と話されたことを記憶していますが、気候でも人間関係であっても、何事も適度なことが大事だなと思います。
 
00220200220.jpg本社の前に、東西に走る道路があります。この道路、ちょっと傾斜して坂になっています。「雨水」ではありませんが、雨が降ると東から西に雨水が川のように流れます。
昔の話になりますが、校長会の会誌に同期のT校長が「山形市は坂が多い」という、なかなか目のつけどころがおもしろい文章を載せていました。
確かに山形市は坂が多い町です。それは当然で、山形市は典型的な扇状地の上に発展した町だからです。扇頂部の山形蔵王インターチェンジ付近は標高は226メートル、扇端部の南沼原小学校の標高は116メートルです。扇頂部と扇端部の標高差はおよそ110メートルにもなります。霞城セントラルの高さが114メートルですから、扇頂と扇端では超高層ビルほどの差があるわけです。
高校時代、自宅がある扇端部から扇頂部にある学校まで、必死で自転車をこいで通ったことを思い出します。

「人生は坂と同じ」と言われます。会社の業績も坂と同じです。上り坂もあれば下り坂もあります。
第64期の決算がまとまりました。きわめて厳しい営業環境ではありましたが、きちんと黒字決算が出されたことは本当にうれしいことです。これも、営業担当のみならず、全役員、社員がそれぞれの立場で職責を果たしてくれたお陰だと感謝の念でいっぱいです。
今期第65期も、会社を取り巻く環境は児童生徒数の減少や小中学校の閉校など、厳しい状況に変わりはありません。しかし、チャンスも多い年だとも言えます。
小学校新学習指導要領の完全実施、同じく小学校新教科書の使用開始、文科省のGIGAスクール構想の整備開始、さらには県内小中高校の設計・改築等々、教育変革の年とも言えます。
00120200220.jpgそのような教育界の「流行」の部分を見逃さずにチャンスとして生かし、新学期テスト類の教材販売や図書展示会による学校図書販売など、「不易」の部分の強化を図っていくことが今期の重要な課題かなと思います。

山形教育用品は子ども達や先生、学校や教育委員会のニーズにしっかりと応えることができる力を十分に持ち合わせています。下り坂の時はじっと耐え、これまでの戦略を見直し、上り坂の時はおごらず、さらに先を見据える。これからも扇状地の扇端部から扇頂部まで坂を登るように、一歩一歩、たゆむことなく着実に、確実に、歩みを進める会社でありたいと思います。
ただし、大沼デパートのように、人生3つ目の坂と言われる「まさか」とだけはならないよう、くれぐれも心してかからなければ゙…。(2020.2.20)

日時: 2020年02月20日 17:16

2020年01月20日

新年 節目としての「戒壇石」

 一輪の 霜の薔薇より 年明くる (水原秋桜子)

明けましておめでとうございます。令和2年が明けました。昨年の今頃は、新しい年号は何になるんだろうねという期待で、世の中が賑わっていたような気がします。
00120200120.jpg年が明けたといっても、別に昨日と変わりがあるわけではありません。また一つ年をとってしまった、というのが実感です。しかし、山形商工会議所の後藤新会頭が月報新春号で、「新しい年を迎えるのは 新しい構えがなくてはならぬ 決してただ漫然と迎えてはならぬ」という言葉を紹介していましたが、新年を迎える構え、意味を持つことが大切なのかなと思います。

通勤途中に「龍門寺」というお寺があります。このお寺、山形ではけっこう有名なお寺です。10代山形城主最上義守が「出羽の虎将」と呼ばれた嫡男義光と対立した後、和睦し隠棲、その後菩提寺となった寺です。寺の周りは鉤型の道に囲まれ、まさに戦国時代の守りの要であったことを伺わせます。
寺の入り口には立派な山門があります。山門の前に一本の石柱が建っています。何年もの間、この石柱は何なのか、そこに彫られている言葉にはどんな意味があるのかわからず、とても気になっていました。
 
石柱には、『不許葷酒山門』という句が彫られています。これまで「葷」の読みと意味がわからず、「酒を飲んでお寺に立ち入ることはできないよ」くらいしか理解できませんでした。
年末、思い立って調べてみると、句の読みは「くんしゅ さんもんに いるを ゆるさず」、意味は「くさいにおいのする野菜(ニラなど)と、酒は、修行の妨げになるので、寺の中に持ち込んではならない」だそうです。禅寺の前にはこの句を彫った石柱「戒壇石」が多くあり、修行の戒めとしているようです。
あらためてこの石柱「戒壇石」の前に立つと、この先、修業の場である寺内が神聖な場所に思えてきます。戒壇石は、俗世と神聖な場所を分ける結界石なのだそうです。

00220200120.jpg以前、山間の小中一貫校に赴任した時、保護者にお寺の住職がおられました。今も月に一度、お寺の便りを発刊されています。この便りが非常におもしろく、毎回楽しみにしています。住職は若い時分、永平寺で修行され、日本一厳しいと言われる修行体験をよく便りに書かれています。
そんな厳しい修行中であっても、時には羽目を外せることもあったそうです。昭和天皇が崩御した時、追悼法要の後、先輩寮長の「今日のような日は滅多にない。われわれも世の中、どうなっているか見ておく必要がある」の一声で、門前の旅館に部屋を借り、カツ丼やカレーを食べながら、年号が「昭和」から「平成」に変わった瞬間をテレビで見た話を書いておられました(註:ホントはいけないことだそうです)。
いったん山門を出ると、そこは俗世です。しかし、カレーは「葷」に当たるのではないかと想像してしまいます。カレーのにおいをぷんぷんとさせながら山門をくぐるお坊さんの姿を想像すると、ちょっと笑ってしまいます。

『不許葷酒山門』の戒壇石がお寺の入り口にあるように、自分の心にも旧年と別れ、新年を迎える一つの節目、区切りとしての戒壇石を置かなければと思った年頭でした。ただし、家の前には『不許葷酒山門』の戒壇石は置かないように。お酒が飲めなくなります。(2020.1.20)

日時: 2020年01月20日 14:39

2019年12月23日

今年もいろいろありました

 大歳(おおとし)の 暮れゆく雲を 仰ぎけり (西島麦南)

年の瀬となりました。あと9日寝るとお正月、です。寒さが苦手な者にとって、今日この頃の寒気は堪えます。
20191223002%20%28220x165%29.jpg高校時代、毎年年末、冬山合宿が蔵王の地蔵岳に連なる三宝荒神山の麓で1週間の日程で行われました。夏テントと違い二重になった冬山用テントでの生活でしたが、厳しい寒さで目が覚めることがしばしばでした。暖房はもちろんありません。朝になると呼吸する息が凍結して、テントの内側だけでなく寝袋の上まで一面真っ白な霜で覆われるほどの寒さでした。この季節になると思い出します。

さて、今年の国内の出来事を振り返ってみると、新天皇が即位、元号が「令和」と改められお祭りムードで賑やかだった一方、度重なる台風上陸など自然災害がきわめて多い年となりました。また、政治や社会面でも日韓関係の険悪化、闇営業、「桜を見る会」問題など、世間の耳目を集めた出来事もたくさんありました。
中でも驚いた出来事は、神戸市の小学校における教師間のいじめ、暴力、暴言問題です。報道された一連の出来事は、40年近く学校という社会で生きてきた者にとっては、まさに信じがたいことばかりです。日頃、「けんかはよくない」「人をいじめちゃダメだ」「仲良くしなさい」と言っている先生が、自らしてはいけないことをしているというのにはあきれてしまいます。
いじめの中身もさることながら、学校という社会がいかに一般常識から外れていて、社会的に孤立した世界であったのかという驚き、落胆と失望です。

学校も人の集まりですから、様々なしがらみ、人間関係における確執も生まれます。仲良くお茶を飲み、酒を酌み交わす時もあれば、教育論に口角泡を飛ばして議論を戦わせ、殴り合いまでいかなくても口げんかになることも時にはあるでしょう。しかし、同僚と教育論を戦わすことと、同僚をいじめて喜ぶこととはまったく次元が違う話です。

教員社会が民間会社や一般公務員と違うのは、いわゆるピラミッド型組織ではなく、鍋ぶた組織であることです。部下がいれば上司がいるのではなく、鍋の持ち手のように校長、教頭がいて、それ以外はふたのように横並びに一般教員がいるという独特の組織構造です。この構造は、「チームとしての学校」の基底となる同僚性といった協力性、協調性を育みやすい反面、いい意味での競争がなく、馴れ合いと甘えの構造に陥りやすい傾向があります。

今年の流行語大賞は「ONE TEAM」でした。また、文科省でも「チーム学校」ということを標榜しています。「チーム」。軽易に使う言葉です。
そもそも「チーム」とは、「Together Everyone Achievement More」の頭文字「TEAM」から生まれた言葉だと言われます。すなわち、「みんなで、一緒に、より多くのことを、達成する」という意味だそうです。「チーム」は、単なる集団である「グループ」とは違います。グループは、単なる小集団、集まりです。しかし、チームには達成すべき共通の目的、目標があります。目的、目標を共有できるかできないかでチームになるかグループでしかないのかが決まります。
 
学校は、子ども達の健やかな成長を育成することを共通の目的とする組織です。神戸の学校は、仲良しグループはあったけれどチームとしては成り立ってはいなかったということでしょう。まさに、鍋ぶた構造の弊害と言ってもよいと思います。
 
20191223001%20%28220x124%29.jpg会社も同じです。「まあまあ、なあなあ」の仲良しグループでは困ります。営業も内勤も、もちろん管理職も、共通の目的、目標に向かって同じ方向で取り組む、いわゆるベクトルを同じにするチームでなければなりません。山形教育用品は、これからもチームとしてあり続けたいと思います。
 
とは言っても、組織がそう簡単にチームとして成立するわけではありません。労働時間や人間関係、労使関係などの職場環境の改善も大事な要素になります。「#忘年会スルー」のご時世であります。でも、たまには職場で酒を酌み交わすことも大事なのかなと思いますが…。

夕焼け空の暮れゆく雲を仰ぎながら、来年はいい年であって欲しいなと願うばかりです。みなさん、よい年をお迎えください。(2019.12.23)

日時: 2019年12月23日 13:44

2019年11月28日

星空を見て思う

 星空を 足音あゆむ 十一月 (平井照敏)

めっぽう寒くなりました。冬の足音がすぐそこまで近づいています。朝晩の寒気が体にこたえます。その分、空気が澄んで星空がきれいです。夏には見ることができなかった星が間近に見えます。

20191128001%20%28124x220%29.jpg先月、東日本は台風19号に襲われ大きな被害をもたらしました。特に、堤防決壊による浸水被害は甚大で、水につかったり全半壊した住宅は68,000棟あまりにもなります。テレビで放映される河川の氾濫、決壊する堤防、家屋を押し流し田畑をあふれつくす濁流、そのすべてが天災の恐ろしさをひしひしと感じさせます。寒さが厳しくなるこの時期の被害は堪えるだろうなと、心よりお見舞い申し上げるばかりです。

今回の台風被害で思い出すことがあります。
前にも書きましたが、今から40年以上前、最上地方の小学校の分校に新採として赴任しました。分校といっても、古い木造ながら2階建ての校舎があり、職員室のすぐ隣には渡り廊下伝いに職員宿舎が建っていました。当時としては、県内でも大きな分校でした。
宿舎の脇には幅4メートルほどの川が高さ2メートルほどの石積みの堤防にはさまれて流れていました。川といっても、普段は深さが10センチほどで水がちょろちょろと流れている程度でした。
赴任して4ヶ月ほど経った夏休み始まりの日、分校を卒業した中学生が子ども会の行事で分校の体育館で宿泊体験学習がありました。自分は次の日、職員旅行が予定されていたので早めに宿舎に引き上げ寝ることにしました。
その夜、雨が降り出したかと思うと、あっという間にバケツをひっくり返すようなたたきつける豪雨となりました。長い間、続きました。
夜中に、子ども会担当の中学校の先生から、「飯野先生、危ないから体育館に避難したほうがいいよ」と起こされました。雨戸を開け、脇を流れる川を見ると、堤防からあふれた濁流が宿舎の床下まで達し、ものすごい勢いで流れていました。土台も削られ、建物が宙に浮いている状況になっていました。急いで中学生達に手伝ってもらい荷物を移動、体育館に避難しました。まさに命拾いです。

明け方になっても雨は止みませんでした。宿舎は土台が削り取られ、斜めに傾いていました。このままにしておくと、すぐ下流にある橋に材木が引っかかって新たな被害を引き起こす恐れがある、宿舎は取り壊したほうがいい、ということで無残にも重機で壊されてしまいました。わずか4ヶ月近くの我が家でした。
 
20191128002%20%282%29%20%28124x220%29.jpgこの豪雨で担任している子どもの家の裏山が崩れました。家が土砂の下にぺしゃんこになっていました。幸い、早めに避難してけがをした者もなく、一家は本校のある地区に仮住まいすることになりました。しかし、父親は心労がたたり、避難後すぐに亡くなりました。葬儀の時、姉弟3人が涙をこらえていたことが思い出されます。
自分も住む所がなくなり、本校校舎の会議をする畳敷きの部屋に仮住まいすることになりました。職員会議をすると、部屋の片隅には布団や本が積み重なっていました。学校に居住するという経験、なかなかないものです。
4ヶ月ほどで新しい職員住宅が新築され、見違えるほどきれいな住まいで冬を越すことができました。他に被害を受けた家もなく、父親が亡くなった子どもも元気に本校に通いました。
 
あれから40年以上も経ちますが、今も忘れることができない思い出です。
被災者の方々にとって、今回の災害が「思い出」として受け止められるまでには、これから何十年もかかるだろうなと思います。
 
澄んだ空に浮かぶ星々が、少しでも被災者の皆さんの癒やしになってくれればと願うばかりです。(2019.11.28)

日時: 2019年11月28日 11:40

2019年10月25日

『瑠璃色の地球』は今…

 秋の雲  はてなき瑠璃の  天をゆく (山口誓子)

秋も深まってきました。この頃の夕方の空は美しい夕焼け色に染まっています。誓子は秋の澄みきった空を「はてなき瑠璃(るり)」と詠みました。昼の光景か夕方の光景かはわかりませんが、黄昏前、朱みが差し始める前の青く澄み切った空と真っ白な秋雲の美しいコントラストを想像します。
00120191025%20%28220x124%29.jpg「瑠璃色」とは、「宝石の瑠璃」のような「濃い紫みを帯びた鮮やかな青」と辞典にはあります。群青色に近い青色ですが、もっと幻想的な深みがあります。群青色が海の色なら、瑠璃色は天空の色だそうです。残念ながら、誓子が「瑠璃」と詠んだような空には未だお目にかかったことはありません。

「瑠璃色」と言えば、松田聖子の歌『瑠璃色の地球』を思い浮かべます。30年以上も前の曲です。作詞は松本隆、作曲は平井夏美です。平井夏美には、井上陽水との共作によるあの『少年時代』があります。メロディーもいいですが、松本隆の詩がいいなと思います。特に、サビの部分が好きです。
この歌、多くの人がカバーしています。ファンには怒られるかもしれませんが、聖子ちゃんの歌よりもカバー曲のほうが好きです。合唱曲にもなっています。特に、旧福島県立安積女子校の合唱は秀逸です。

人類初の宇宙飛行士ガガーリンが「地球は青かった」と言ったように、松本が「瑠璃色の地球」と表現した美しい地球は、今、危機に瀕しているようです。
先日、朝のテレビでアフリカはタンザニアのザンジバル島の女性失業問題を取り上げていました。ザンジバルは観光資源しかない貧しい島ですが、最近は海藻の収穫で現金収入が増え、住民の経済状況も向上していました。
ところが、近年の地球温暖化現象で海水温が上昇、海藻が死滅するケースが多くなってきたそうです。海藻の摘み取りで現金収入を得ていた女性たちは失業状態に陥っているとの特集でした。
遠いアフリカの話かもしれません。しかし、日本でも近頃の異常気象現象の多発を考えれば、対岸の火事とは思えません。

00220191025%20%28220x147%29.jpg弱冠16歳のスウェーデン人環境活動家グレタ・トゥンベリが、先月、国連気候サミットで「未来の世代はあなたを見ている。私たちを裏切る道を選べば許さない」と、怒りのスピーチを行いました。若いのにすごいな、と正直思いました。
小泉新環境大臣も出席して「気候変動のような大きな問題は楽しく、かっこ良く、セクシーであるべきだ」との発言に対し、元アナウンサーの小島慶子さんがサンドウィッチマンの富澤のギャグ「ちょっと何言ってるかわからないです」を引用して皮肉交じりのコメントをしていました。よく聞いても、やっぱり「何言ってるかわからないです」。
グレタに比べ、一国の大臣の発言としてはちょっとチャラいな…と思います。『瑠璃色の地球』のほうが、ずっとかっこ良く、sexy、いや、coolのような気がしますが…。(2019.10.25)

日時: 2019年10月25日 13:25

2019年09月25日

『解体新書』と『冬の鷹』

 コスモスの 花ゆれて来て 唇に (星野立子)

「秋分」です。めっぽう日が短くなりました。夕方5時を過ぎるともう暗くなってきます。1ヶ月前、酷暑だった今夏のうだるような暑さを思い出すと、爽やかで澄み切った空がものすごく気持ちよく感じられます。

0010925%20%28220x165%29.jpgさて、先月のブログの続きで恐縮です。山形市郷土館にたくさんの医学資料が展示されていますが、なかでも極めて貴重な資料が『解体新書』です。『解体新書』はオランダの解剖学訳書『ターヘル・アナトミア』の和訳本で、江戸中期1774年に刊行されました。日本の近代化の先駆けとなった本と言っても過言ではないと思います。小学校の社会科でも学習する、誰もが知っている話です。
一般に、訳者は「杉田玄白」と言われます。「解体新書=杉田玄白」と習います。しかし、困難を極めた翻訳作業を支えたもう一人の人物に「前野良沢」がいます。翻訳作業の中心人物だった前野良沢の著者としての名前は解体新書にはありません。4年という歳月と、玄白が「櫂(かい)や舵の無い船で大海に乗り出したよう」と、辞書のない翻訳作業のたいへんな苦労をともにした良沢の名前がなぜないのか、そのいきさつを著した小説に吉村昭の『冬の鷹』があります。

この本は、40年ほど前に読みました。私のおすすめの一冊のようなタイトルの本に、あるアナウンサーがぜひとも読むべきだと書いてあったので、さっそく買い寄せ読んだものです。
吉村の玄白像は、積極的で社交的、何事にも果敢に挑戦するアクティブな人間として描かれています。それに対して、良沢は沈思黙考型で石橋を何回もたたいてようやく渡る寡黙な人間として描いています。二人の出会いから確執、そして別れが相反する性格をとおして見事に描写されています。
『解体新書』に良沢の名前がないのは、医学発展の名の下に、己の名声のため早く出版したい玄白と、翻訳未完成のままでは出版できないという完璧主義者の良沢との対立があったからです。

0020925%20%28220x124%29.jpg『冬の鷹』は、読むべきだと薦めたアナウンサーが言ったとおり、自分の心に残る一冊となりました。子どもの頃から目立つことが嫌いで引っ込み思案、先生からは学校ではいつもおとなしいだけではダメだ、少しは積極的にやりなさいと言われ続けてきました。それがコンプレックスでもあった自分にとって、『冬の鷹』が描く「前野良沢」の生き方は大きな心の支えとなりました。
人にはそれぞれ個性があります。饒舌でリーダーシップを発揮することも個性です。寡黙で口べたなことも個性です。個性を単に長所・短所と決めつけてしまうのはどうかと思います。
障碍(しょうがい)の有無によって学ぶ場所が分けられるのではなく、一人ひとりそれぞれの子どもの能力や困りごとが考慮された「インクルーシブ教育」が推進されて10年近くになりました。障碍だけでなく、その人が持つ個性もきちんと認め、受け止めることが大切なことじゃないかと思います。

人には、群れの先頭に立つ雄ライオンのような者もいれば、降りしきる雪の中に一羽たたずむ孤高の鷹のような者もいるのです。人はそれぞれ、千差万別、千姿万態、十人十色ですね。(2019.9.25)

日時: 2019年09月25日 09:41

2019年08月26日

どこに行ったの? 「結城よしを」の歌碑

 炎天を 槍のごとくに 涼気過ぐ  (飯田蛇笏)

「炎熱の天(「そら」と読んでください)白雲わく」そんな感じの8月でした。いやあ、暑い! 暑い! 外に出ると、熱風が肌を焼く感じです。寒いのが苦手、暑いの大好きな自分ですが、さすがに参りました。

0010826%20%28220x124%29.jpgさて、会社の夏休み9連休も終わりました。社員の皆さんは家族旅行やゴルフなどで楽しく過ごされたことと思います。自分はどこへ行くこともなく、墓参りが唯一の遠出でした。それでも暇をもてあまし、家にも居場所のない自分は暑さの中、徘徊散歩であっちへ行ったりこっちへ行ったりで夏休みを過ごしました。
散歩コースの一つに霞城公園があります。つい先日まで知らなかったのですが、霞城公園の住所は「霞城町」だそうです。定住者が一人もいない不思議な町です。公園内には様々な建物がありますが、山形市郷土館もその一つです。ちなみに住所は「霞城町1-1」です。「1丁目1番地」ですよ!
郷土館は明治11年に竣工されて以来、長く山形市立病院済生館として使用されてきました。昭和44年に現在地に移築された「旧済生館本館」は、14角形の回廊と三層の塔楼で形作られています。三層ですが4階建てだそうです。独特の形態です。明治初期の洋風建築の独特の美しさがあります。8月14日、その郷土館をめざし炎天下、遠回りしてのウォーキングに出ました。

0020826%20%28124x220%29.jpgところで、なぜ郷土館に行ったかというと、あることが知りたくてそれを教えにもらいに立ち寄った次第です。現在、郷土館には顔見知りの退職校長先生が3人嘱託としてお勤めになっています。ちょうどO先生とI先生がおいでになり、しばらく教職退職後の話に花を咲かせてきました。
さて、肝心の「あること」ですが、霞城公園内にあるという『結城よしを』の歌碑を見たくて、その場所を知りたかったのです。2人にお聞きしたところ、公園地図には旧児童文化センター跡地に印があるので、そこなんじゃないかと教えられました。これまでもよく通ってきた場所なのに、そんな大きい石碑があったかなと思いながら郷土館を後にしました。
翌15日、歌碑の在処をめざして霞城公園を再訪。まっすぐ旧児童文化センターを跡地に行ってはみたものの周りにはロープが張られ、草は生い茂り、歌碑らしきものはまったく見えません。おかしいなと思い、公園の管理事務所前の案内板を見ても、やっぱり同じ場所に歌碑はまちがいなく存在している。でも、実際はない。あちこち行ったり来たり…。
と、思い出したのが、現在山形支店役員のT先生が、山形四小の校長時代に霞城公園からグラウンドに碑が移設されたという話です。そう言えば、結城よしをは山形第四尋常小学校を卒業した人だった。歌碑はまちがいなく四小にある。
そして、翌16日、四小まで出向き、ようやく歌碑に対面しました。蔵王山の立派な石にはめ込まれたレリーフには、結城よしをの代表作『ないしょ話』が力強く、流れるような書体で刻まれていました。

0030826%20%28220x124%29.jpg「結城よしを」は、南陽市宮内出身の詩人です。大正9年(1920年)生まれ。両親の健三とえつはともに歌人です。山形市立第四尋常小学校を卒業すると、市内の本屋に就職。17歳で童謡誌を刊行、19歳で代表作「ないしょ話」を作詞し、レコード化されます。21歳で招集され、シンガポールやニューギニアなど各地を転戦、昭和19年に24歳の若さで戦病死しました。「ぼくの童謡集を出版してください」が最後の言葉だったそうです。
『ないしょ話』という童謡は、大正時代の「赤い鳥」運動を想起させる、今聴くと何とも古めかしい歌です。しかし、今の社会状況、人間関係、特に親と子の関係を考えると、忘れてはいけないとても大切なことが謡われているような気がします。終戦74年経った記念の日に思いました。

「ないしょ ないしょ 
 ないしょのはなしは あのねのね 
 にこにこにっこり ね、母ちゃん
 お耳へ こっそり あのねのね
 坊やのおねがい きいてよね」

<追記>
結城よしをと親交を結び、いっしょに童謡集を発刊した山辺出身の童謡詩人に「武田勇治郎」がいました。代表作は『花のいろ』です。二人の交流については、本社発刊『やまがた人物風土記2』に、佐々木悦先生がくわしく書かれています。かれも戦争で健康を害し、復員後、あの済生館に入院、そして退院後、まもなく亡くなります。勇治郎も享年28歳という若さでした。戦争からは不幸しか訪れないですね…。(2019.8.26)

日時: 2019年08月26日 12:55

2019年07月25日

東京タワーは元気に立っていました

 秋天に 東京タワーといふ背骨 (大高翔)

先月25日に気象庁が発表した3ヶ月予報によると、7月の北日本はエルニーニョ現象の影響で特に雨が多く気温も低いとされました。それを聞いて頭をよぎったのが、平成5年(1993)の平成米騒動です。今から26年も前の出来事ですが、あの時の騒動はよく覚えています。
0010725%20%28220x124%29.jpgその年、梅雨前線が長期間日本に停滞し、日照不足と長雨の影響で米の収穫量が著しく下がり、作況指数は「74」という異常な事態となりました。全国の米不足と価格高騰は深刻で、タイや中国、アメリカから、いわゆる「外米」を緊急輸入しました。
宮城の友人が「山形はまだいいほうだろう」と、家族と車で米の買い出しに来ました。10kgの米を4袋ばかり積んで、うれしそうに帰っていきました。一人で4袋は買えないので、手分けして買った記憶があります。お陰で生きながらえたとまでは言われなくとも、大いに感謝された覚えがあります。
長期予報を聞いて、そのことを思い出しました。予報どおり、東京の7月の日照時間は平年の1割、気温も低く肌寒い毎日だそうです。『喉元過ぎれば熱さ忘るる』『天災は忘れた頃にやってくる』。米の備蓄まではいかなくても、日頃から『備えあれば憂いなし』の意識が大切ですね。

さて、今月初めに私用で東京に行きました。新幹線を降りたとたん、蒸し暑い空気がまとわりつく思いがしました。どんよりとした空と粘り着く湿気を含んだ空気は、まさに梅雨を感じさせます。
用事が済んだ後、時間があったので東京タワーに行ってきました。東京タワーは、今年で竣工61年目を迎えたそうです。自分の年齢とさほど変わりありません(ちょっとサバを読んでいます)。
東京タワーまでの交通アクセスはよくありません。地下鉄三田線で芝公園駅まで行き、公園の反対側まで15分近く歩かなくてはいけません。蒸し暑い中、荷物を持っての歩きはかなり疲れます。しかも、近道をしようと芝公園を斜めに進んだら小高い丘に遮られ、階段を登り降りしたら余計に時間がかかってしまいました(この丘、「芝丸山古墳」という東京都の指定遺跡だそうです。びっくり!)。
0020725%20%28165x220%29.jpgようやくたどり着いた東京タワーは、寂しいぐらい人がいません。アジア系の外国人と老人クラブのお年寄り、10名ぐらいの修学旅行の中学生。ガラガラです。1階にあるレストランも50人ほどしかいませんでした。現代では、高さ333メートルに魅力を感じないのかもしれません。展望台から下に見える景色にもそれほど感動はありません。夢や憧れは、高ければ高いほど魅力的なのと同じなんでしょうね。上の展望台まで登れば印象も別なのでしょうが、見学料金が2,800円となると二の足を踏んでしまいます。
どんよりと雲に覆われた空の下の景色は、灰色にかすんでよどんでいます。ここに来たのは今から50年前、中学校の修学旅行の時だったな。あの時は夜の見学で夜景がきれいだった。瀬戸物でできたタワーのお土産を買ったな。そんな記憶がよみがえりました。よどんだ景色に「昭和」を感じました。スカイツリーが「平成」なら、東京タワーはやっぱり「昭和」です。

懐かしさとともに東京タワーを後にしました。見納めに振りかえると、東京タワーは50年前と変わらず、凜としてそこに立っていました。それに負けじと、自分も足取り軽く見せながら帰り道につきました。どれ、明日からまたがんばらねば。(2019.7.25)

日時: 2019年07月25日 09:23

2019年06月26日

入院と子どもの泣き声

 噴水の しぶけり四方に 風の街 (石田波郷)

からだの都合で5日ほど入院しました。病院に行く途中に噴水があります。噴水の水しぶきが日光に反射して、まばゆいばかりに輝いていました。夏ですね。  
0010626%20%28220x147%29.jpg荒井由実に『海を見ていた午後』という歌があります。45年も前の曲ですが、今も色褪せてはいません。詞の中にある「ソーダ水の中を 貨物船がとおる 小さなアワも 恋のように消えていった」というフレーズが好きです(三島由紀夫の詩にも同じようなフレーズがあるそうです)。荒井由実の歌は、ソーダ水のアワのような歌い方です。そして、「噴水のしぶけり」を見ていると、まさに「小さなアワが 恋のように消えていった」という気持ちになります。

さて、からだですが、大丈夫です。のどにできた良性のポリープの切除です。昨年に引き続き2回目です。慣れたものです。気管の手術なので全身麻酔です。これが気持ちいい。麻酔の点滴をされると、あっという間に夢の世界です。「麻酔」は、明治の終わり頃は医学界では「魔睡」という漢字が遣われていたそうです。まさに、悪魔の眠り、魔法の眠りです。目覚めも気持ちよく、ぐっすりと眠れたなという感じです。

病棟は、耳鼻科と小児科が一緒になっています。朝から夜中まで、乳幼児の泣き声が病棟内に響いています。泣き声の大きさも泣き方も千差万別です。この泣き声が快か不快かといえば、もちろん心地よいものではありません。

そのことで思い起こす出来事が二つ。
一つは、今月中旬、新潟県N市役所の31歳の女性職員が生後2ヶ月の乳児を床にたたきつけて殺害するという事件がありました。「育児で眠れなかった」と供述しているようですが、何ともつらく悲しい事件です。産後うつ、育児ノイローゼでしょうが、何も生後間もないわが子を殺すことは…。
もう一つ、これも今月ネット上で話題になっていることです。フリーアナウンサーの小島慶子さんの問題提起。小島さんが、ツイッターで「電車の中で泣く赤ちゃんに腹を立てて『泣きやませる努力が足りない』と母親を責めるツイートを見た」として、「生き物だから思い通りにならないのですよ。それよりあなたの幼稚な『ママは完璧』幻想を捨てる努力をしたらどうでしょうか」と異論を唱えたというものです。幼稚な考えというのはどうかと思いますが、正論でしょう。

子どもの泣き声、特に赤ちゃんの泣き声は、人によっては「癇にさわる」ことだと思います。自分も子どもが小さい頃、夜中の泣き声で苦労しました。日中忙しく働いている者にとっては、まさに癇にさわります。また、電車の中でも大声で泣き出して、なだめてもすかしても泣き止まず、周りの方々に不快な思いをさせたこともたくさんあります。
でも、それはみんな同じです。泣かない赤ちゃんなんていません。泣く子は元気な証拠です。癇にさわるあなたも、幼い時は大声で泣いていたのです。

厚生労働省の育児パンフレットに、こんな言葉がありました。
「『泣き』はお母さんの注意をひきつける最も効果的なコミュニケーション手段。赤ちゃんの『ことば』です」
「泣いたら、あやしてあげる。見つめたら、見つめかえしてあげる。手を伸ばしてきたら、抱きしめて体温を感じる。おっぱいを飲んでいるときには、赤ちゃんのいいにおい。ことばの意味を理解するまでの1年あまりは、体を使ったコミュニケーション。赤ちゃんとのスキンシップも大切にしながら良い関係をつくってください」

0020626%20%28220x124%29.jpg赤ちゃんが泣くことは、大人へと成長する第一歩です。親は赤ちゃんの一番身近にいるカウンセラーなのです。自分の子どもはもちろん、他人の子どももそんな温かく、長い目で見ていきたいものです。ただし、どんな時も子どもを叱らないことを教育方針としている親の考えには賛成できませんが。

入院はわずか5日間でした。でも、疲れました。もう、病院には行きたくないと、心から思いました。退院の時、病院の外に出たら、実に空気がおいしかったです。シャバの空気はいいなあ…。
(註)写真の建物は、S生館病院から見た話題の「大沼デパート」です。裏から見ると、自分自身のようにだいぶくたびれているなあ。(2019.6.26)

日時: 2019年06月26日 11:26

2019年05月24日

仏壇に水を供える…子どもの作文から

 五月来ぬ 心ひらけし 五月来ぬ (星野立子) 

003001%20%28124x220%29.jpg机上の卓上カレンダーが5枚目を終えようとしています。5月も末。木々の緑も「萌黄色」から鮮やかな緑色「鮮緑」へと変わってきました。この季節、よく「清々しい」と言いますが、遙か遠くの山々の木々の一本一本がはっきり見えるぐらい間近に見えます。それだけ空気が澄んでいるのでしょう。まさに、二十四節気の「小満」、陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂る頃です。私的には、今頃の季節が一番好きです。
 
さて、今年も文集『山形の子ども』が送られてきました。県教組教育文化部で編集発行している作文集です。「日々の生活を綴る作文」と謳っているだけあって、遠足や運動会などの行事作文とはひと味違います。読んでおもしろいです。特に、低学年。
その中の一編。河北町立谷地南部小学校1年 あだち たいがくんの『おとうさん、お水をどうぞ』を紹介します。

 ぼくは、まい日、ほとけさまにお水をあげるお手つだいをしています。ほとけさまはおとうさんです。
 おとうさんは、ぼくが生まれてすぐにしんでしまったそうです。だから、ぼくは、おとうさんのことがぜんぜんわかりません。でも、まい日、ほとけさまにかざってある、おとうさんのしゃしんを見て、おまいりしています。
(中略)
 お水をあげるときは、チンチンとかねをならします。そして、こころの中で、「うんどうかいではやく走れますように。」とか、「おうえんしてね。」とかおねがいします。
 おにいちゃんは、
「パパ、よろしくね。」
と、こえを出しておねがいをしています。
007002%28124x220%29.jpg ときどき、お水をあげるのをわすれてしまうことがあります。だけど、おにいちゃんがごはんを上げていると、ぼくもおもい出してやります。おにいちゃんがわすれたときは、
「おにいちゃん、ごはんあげするんだよ。」
と、ぼくがおしえてあげます。
 なつ休みに、おとうさんが生まれた名ごやのおじいちゃんとおばあちゃんのところにいきました。おにいちゃんと二人だけでいきました。ひこうきにのっていきました。
 名ごじいちゃんと名ごばあちゃんは、
「おとうさんは、やさしい人だったよ。」
と、おしえてくれました。
 そして、名ごばあちゃんは、おとうさんがたいせつにしていたキーホルダーをくれました。ぼくは、それをおさいふにつけました。ぼくは、それを見ると、すこしだけおとうさんのことをおもい出します。
 おとうさんがやさしい人だったときいて、ぼくはうれしかったです。だから、ぼくもやさしい人になれるように、お手つだいをつづけていきたいです。お水をあげるときは、こころの中で、そっと、
「おとうさん、お水をどうぞ。」
といいます。

009003%20%28124x220%29.jpg山形の言葉で言えば、「むつこくなる」ような作文です。いじめや虐待が日常茶飯の世の中、純真な少年の温かい思いを感じて何かほっとさせてくれます。
仏様に水やご飯を供えることをしている子どもが、今どれくらいいるでしょうか。身近な家族が亡くなったりしなければ、仏壇に手を合わせることもないでしょう。かく言う自分も神も仏も、キリストもアッラーも信じない不信心な罰当たり者ですが、たいがくんが毎日、亡き父に水を供えていることに頭が下がります。
「水をあげる」ことによって、よく覚えていないお父さんとのつながり、そして自分自身の成長を確認しているんでしょう。きっと、お父さんも喜んでくれていると思うよ、たいがくん。(2019.5.24)

日時: 2019年05月24日 09:56

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