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2021年04月01日

今日から令和3年度

今日(4月1日)から令和3年度がスタートします。
昨年の4月1日のブログには「新型コロナで先が見えない中の新年度」と書きましたが、1年経った今も新型コロナの終息はまだ見通せません。昨年は「1年経てば治まっているのでは…?」と少しだけ楽観的な希望を持っていましたが、世界的な疫病はやはり1年やそこらでは治まらないということを改めて思い知りました。ペストやスペイン風邪の事例があるように「歴史は繰り返す」という言葉は大変重く感じます。

昨年の3月末を振り返ってみると、山形県は新規感染者ゼロが続いている4県の一つで、ちょっとだけ誇らしいところもありました。
突然、3月31日、初の新規感染者の報道があり、「ついに山形にも来た!」と大騒ぎになったことを記憶しています。米沢市の自動車学校に合宿で参加していた県外の20代女性でした。
その日を境に、県内でも新規感染者は増え続け、連休前までの約1ヵ月間感染は続きました。

その後は、比較的ゼロの日が多く、たまに出ては、またゼロに戻ることを繰り返していました。そのせいか、たまに感染者が出ると注目の的になり、まるで犯罪者のごとく扱われ、ネット上では集団いじめのようにガンガン叩かれるということが続きました。

しかし12月。全国的傾向と同じく、県内でもクリスマスから正月にかけて感染者が急増し、その後増減をくり返しながら1月末まで続きましたが、感染者の数が多すぎて叩ききれない状況のためなのか、注目度が低くなったからなのか、理由はわかりませんが、ネット上での個人に対する集中的な書き込みは減ったような気がします。

2月に入ると比較的少し落ち着いてきたのでホッとしていましたが、3月下旬、山形市を中心に複数のクラスターが発生し、加速度的に感染者が増加しています。加速度的と表現しましたが、3月31日現在、1年間の県内新規感染者の累計は948人ですが、そのうちの40.4%に当たる383人が3月18日からの14日間に発生した数という急激さです。

DSC_1080copy.JPG昨年の年度末は感染者ゼロの県で話題を集めた山形県。今年の年度末は感染者が急増している第3波のリバウンド県として、連日全国版のニュースで取り上げられている山形県。新年度のスタートにあたりとても心配な状況です。
まず、私たちにできること。それは感染症対策です。とにかく、行動は厳しく(個々人が責任を持って確実に取り組む!)、気持ちは楽に(長い戦いなので、無理せず気楽に!)いきましょう。

最後に。スペイン風邪は2年後に終息したと言われています。「歴史は繰り返す」を冒頭では悪い方に解釈しましたが、良い方に解釈すれば新型コロナも1年後には終息するだろうということも言えるのかなぁと勝手に思っています。
(写真:4月1日朝撮影。天童市役所前、倉津川のしだれ桜の中に1本だけある「早咲きの桜」)

日時: 2021年04月01日 10:11

2021年03月11日

3.11 あれから10年

3月11日。早いもので、もう10年経ちます。
しかし、10年経っても、あの日のことは、昨日のことのように鮮明に覚えています。

DSC_0160copy.JPGあの日、自然の力の前に、人間の力は本当にちっぽけで、なんて無力なんだということを思い知らされました。科学や技術の進歩により、高性能な、最先端の製品に囲まれた生活にドップリ浸かり、自然さえもアンダーコントロールと言い切ってしまうほど、傲慢になってしまった人間の「うぬぼれ」は一瞬にして砕かれました。

大げさかもしれませんが、この震災は、「私の今までの生き方って何だったんだろう」「人間にとって本当に大事なものは何なんだろう」と自分に問いかけるきっかけになりました。というよりは、震災が「問い返せ!」と強制的に自分にそうさせたと言った方が適切なのかもしれません。

震災前は、自分では気づかなかったし、気づこうともしなかった、かなり自己中心的で、うまくいかないことがあると、ストレスを感じ、イライラし、自分以外に原因を求める生き方。
そんな私が、震災の時、痛烈に感じたのは、「生きていることへの感謝」「家族というかけがえのない存在」「見知らぬ者同士でも、声をかけ、助け合うことの温かさ」等々。

DSC_0161copy.JPG一つの例ですが、震災発生後、東日本で電力が不足していたため、計画停電をしながら、みんなで電力を分け合おうという方針が出されました。あの時は、「一日数時間の停電なら、我慢して当然。みんなで助け合わねば!」と計画停電に協力するのは当たり前という気持ちでした。
今はどうでしょう。震災当時の大変な状況にはないので同じ条件ではないのですが、わずかの時間の停電でも、「こんな時に停電かよ~」と不満を持ってしまいます。誰かが意図的に停電を引き起こしているわけではないし、荒天の中、復旧作業に全力で取り組んでいる電力会社の方がいるにもかかわらず、震災当時の譲り合いの気持ちは、どこかにすっ飛んでいます。

震災当時の方が、なぜか優しい気持ちになれました。みんなで助け合おうという気持ちにあふれていました。イライラすることも少なかった様な気がします。
現在の、不自由のない安定した生活の方が、優しさや助け合いの気持ちが小さくなり、自己中心のエゴやストレスやイライラを抱える部分が大きくなっているような気がします。

今、改めて思うのは、今後10年経っても20年経っても、「震災の記憶」は当然、「あの時感じた気持ち」も忘れてはいけないということです。

※写真は、私が震災復興ボランティアに行った宮城県亘理町の海岸の様子。(現在、コロナで県外への移動自粛中のため、2018年6月25日撮影の少々古い写真)。海岸線に新たに作られた防潮堤の上から、南側に続く「防潮堤」と『鳥の海(海とつながっている汽水湖)』に続く「整備された水路」付近です。

日時: 2021年03月11日 10:08

2021年03月01日

コロナ休校から1年

DSC_1058copy.JPG今朝も通勤途中に、体育着姿で登校する中学生の姿を見かけました。新型コロナが発生してから、儀式などの特別な日以外は、毎日体育着登校です。昨年の5月頃は、新型コロナに関する知識が少ない中で、まめな除菌対策が叫ばれていました。そのため、学校が再開したときから、洗濯がしやすい体育着での登校が始まりました。
一方、小学生は、ずっと私服なので、以前と変わりない登校風景です。高校生も、以前から、体育着登校の生徒もいれば、制服登校の生徒もいるという、混在した服装だったので、これまた、1年前と変わらない登校風景です。
このように、中学生だけは、はっきりと1年前とは違う登校風景なので目立ちます。そして、その姿は、学校における日常は完全に取り戻せてはいないという無言のメッセージのように思えてなりません。

思い返せば、1年前の2月27日夕方。当時の総理大臣である安倍晋三首相から突然発表された、3月2日からの全国一斉休校要請。
2月27日は木曜日。3月2日は月曜日。学校があるのは、友達や先生と会えるのは、そして令和元年度は、2月28日の金曜日一日だけ。こんな事が、何の前触れもなく、抵抗する間もなく、強制的に、突然やって来たのでした。
この一斉休校の検証はあったのでしょうか。政府は、一斉休校に対する批判の中で、「検証は必要だ」と言っていましたが、未だにないような気がします。多くの子供たちから、卒業式前の大事な1ヵ月を奪っておきながら、このままうやむやにしてしまうのでしょうか。過去は戻ってきませんが、将来に生かす(役立たせる)ためにも、振り返り(検証)は大事だと思います。

5月頃から学校は再開し、少しずつ動き始めましたが、同時に、制限された不自由な学校生活も始まりました。その顕著な例が、行事や大会参加等ですが、ここでは省略します。
大変ではないように見えますが、意外とダメージがあるのは、「無言の給食」ではないでしょうか。「孤食」という言葉が一般的になって久しいのですが、「無言の給食」はなんとなく「孤食」を連想してしまいます。同じ空間に、多くの仲間がいるにもかかわらず、全員が同じ方向を向いて、黙々と食べる。静まりかえった教室には、食器の音しか響かない。
もし、私が担任で、その場にいたら、その重苦しさに耐えられないと思います。
しかし、新型コロナがきっかけでよくなったこともあります。まめな手洗いやマスクの着用などの感染対策への姿勢です。今年は、インフルエンザ流行のニュースは皆無です。これだけ徹底すると、インフルエンザの流行も抑えることができるというのは驚きです。新型コロナが収束しても、毎年のようにインフルエンザは流行するでしょう。この徹底した感染対策は、今後に生かせるのではないかと期待しています。

全国一斉休校から1年。まだまだ、新型コロナの収束は見えませんが、希望を信じて、一歩一歩進んで行くしかありません。
一日でも早く、中学生が体育着でなく制服で登校する日常が戻ることを願っています。

日時: 2021年03月01日 15:15

2021年02月15日

堅雪

皆さんは、「堅雪(かたゆき)」をご存じでしょうか。若い方は当然、中年以上の方でも知っている人は少ないかと思います。ましてや、「堅雪」を実際に体験した人はほとんどいないのではないでしょうか。

「堅雪」とは、2月頃、積もった雪が日中の暖かさで少し溶け(特に表面)、快晴の夜にギンギンに冷やされ、翌朝凍って堅くなり、その雪の上を歩くことができる様な状態になることです。
道路、歩道、駐車場などに見られる踏み固められた雪や、溶けた雪がバリバリの氷になっている状態ではありません。
誰も踏み入っていない、水田や畑、原野のふわふわした雪が積もっている場所をイメージしてください。凍って堅くなったと言っても、氷の状態ではなく、表面はザラザラしていて、お菓子のウエハースの様な感じで堅くしまった雪です。また、積もった雪が全部が堅くなっているのではなく、表面の部分だけ堅くなっているのです。理解しやすいように実際によくあることを付け加えると、「堅雪」を歩いていて、たまに「堅雪」が薄い部分を踏んでしまうと、ズボッと足の付け根まで雪の中にはまります。中はさらさらの雪なのです。そのため、「堅雪」の上を歩くときは、結構慎重に、池にできた氷の上を歩くような感じで進んで行きます。

「堅雪」の醍醐味は、普段は踏み入ることができない、水田や畑、原野、たまには森林の中を、特別な道具を使わなくとも、「空飛ぶ人間」のように、好きなコースを自由に歩けることです。
私が、幼稚園や小学校低学年の時は、2月頃の晴れた寒い朝、通学班の全員が通学路を逸(そ)れ、「堅雪」をショートカットして、たまにズボッとはまりながら、楽しく通学したものです。

DSC_1051copy.JPG山辺の鳥海小・中中に勤務した時のことです。2月の快晴の朝、全てのものが凍り付いている極寒の中、畑に積もった雪が朝陽に照らされて、まるでダイヤモンドをちりばめたように光り輝いていました。「この美しい光景を写真に取らねば!」と畑に近づき、ベストアングルを探して、はまるのを覚悟して一歩畑に足を踏み入れたとき「あれ? 歩ける!」「堅雪?」。そうです。45年ぶりの「堅雪」です。学校付近の積雪は約1m50cm。はまったら大変です。慎重に、一歩一歩、足を進めました。どこまで行っても、はまりません。次第に楽しくなり、普段は行くことができない、森林が切れたところにある、見晴らしのよい谷間の縁まで行きました。快晴の青の中に、真っ白な葉山、月山、朝日連峰が連なる光景。この時期しか見られない絶景です。

「『堅雪』を子供たちに伝えねば! 今日の今の時間しかない!」(私は、毎朝、児童を集合場所まで迎えに行き、通学班と一緒に登校していました)。登校途中、児童たちに、水田の「堅雪」の上を歩いてみせ、「楽しいから歩いてみないか」と声をかけたのですが、全く無視されました。
その4年後、村山教育事務所の西に広がる水田が奇跡的に「堅雪」になり、楽しく歩いた後、所員の方々に「堅雪」を紹介しました。笑顔で話を聞いてくれましたが、今思うと迷惑なことだったと反省しています。
※写真は2月12日快晴の朝、堅雪出現。馬見ヶ崎河川敷サッカー場の堅雪を歩いた足跡。

日時: 2021年02月15日 11:06

2021年02月01日

ホワイトアウトの恐怖

先月1月19日に、ホワイトアウトが原因と思われる車140台が関係する多重事故が、東北自動車道の古川ICの北2kmの地点で発生しました。インタビューを受けていた運転手は「全く前が見えなかった。怖かった」と当時の様子を語っていました。

私もホワイトアウトを何回か経験しました。その度に、「このままでは何かに衝突する!」「しかし、止まったら、後ろから追突される!」とどちらを取るか心の中で葛藤しながら、のろのろと、ほとんど山勘で車を進め、なんとか切り抜けた時、「よく無事だったなぁ」と事故に遭わなかった偶然(ある意味奇跡)に感謝したものでした。

初めてホワイトアウトを体験したのは、教員になって2年目の冬、鶴岡であったサッカーの研修会の帰り道、月山道(国道113号線)でのことでした。第1トンネルを出たあたりで、瞬間的に白い海の中に落ちたような感じになり、自車のボンネットすら見えない状況に恐怖を感じました。しばらく、のろのろと車を進めましたが、動物的勘で「何かにぶつかりそうだ!」とブレーキを踏んで完全に停車する寸前、地吹雪が一瞬途切れて視界が広がりました。目の前にあったものは、橋の欄干です。「あぶねぇー!!」。地吹雪の恐ろしさを十分過ぎるほど学習しました。
それから、はっきり覚えているだけで、庄内で4回(鶴岡、三川、櫛引、湯殿山)、尾花沢山刀伐峠付近、東北自動車道の松尾八幡平付近でホワイトアウトの恐怖体験をしました。いずれの場所も、地吹雪によるホワイトアウトです。

DSC_1042copy.JPG1回だけ、地吹雪ではなく、雪がガンガン降ってくるために発生したホワイトアウトを経験しました。2012年2月2日の朝です。大雪のため、JRがストップしたので、子供を山形市内の高校に送ってから、勤務校(鳥海小学校・中中学校)がある山辺町に向かいました。7時半頃、山形市との境界にある大塚地区を通過したあたりから、大雪でどこが道かわからない程の積雪に追い打ちをかけるように、空から、バケツをひっくり返したような(そんな表現あるのかわからないが)大量の雪が降ってきてホワイトアウトになりました。地吹雪と違い、自車のボンネットや信号らしきもの(赤か青かは判別不能)はなんとなくわかるのですが、それ以外の全てが真っ白な世界です。止まるわけにはいかず、のろのろと車を進めました。ようやく、白い悪魔の中に、山辺町役場の建物がうっすらと見えたとき、「助かった…」と少しほっとしたものでした。

その日は記録的な大雪でした。県道18号線は、私が通過した後、平橋付近でなだれが発生し、本校の先生2人が前と後ろを雪崩で塞がれ立ち往生し、4時間後救出されました。
また、その平橋付近の「のり面」のなだれ防止作業のため、1週間もの間、県道18号線は北垣と大蕨間で通行止めになりました。私は天童から、一端山形市に向かい、山形二中、大曽根小を経由するコースを通勤するはめになりました。(なぜ、山辺の学校に勤務しているのに、山形市の西バイパスの渋滞の中にいるのか…と、ぼやく日々が1週間続きました)

※写真は今朝(2月1日、-7.8℃)馬見ヶ崎川の川面からのぼる湯気(蒸気霧)です。(2021.2.1)

日時: 2021年02月01日 10:44

2021年01月15日

成人式の思い出

1月11日は成人の日。今年は、新型コロナウイルス感染防止のため、多くの自治体が成人式を中止又は延期しました。式が中止となり、レンタルした着物が無駄にならないよう、せめて写真だけでもと、閉まっている式場前等で写真を撮る姿がニュースで取り上げられていました。
一方、例年より少ないのですが、相変わらず酒を飲み、大騒ぎをし、警察官ともめる新成人の映像が、恒例のようにオンエアーされました。「マスコミも取り上げるのをやめたらいいのに…」「多様化した今の時代、成人式のあり方はこれでいいのか?」という思いが強くなります。

DSC_1021copy.JPGすでに選挙権年齢が18歳に引き下げられ、2022年4月からは民法改正により成年年齢(法律用語?)は20歳から18歳に変更になります。成人式の開催については法的な拘束はなく、「開催する、しない」や「開催する場合、18歳か20歳か」の判断は各地方自治体に任せられているようです。

私も40年以上前、成人式に行きました。私なりに、成人式のいいところは、久々に多くの同級生と会い、楽しく語らうことができる「同窓会的」なところだと思います。当時、私は、東京の千代田区にある某大学の学生でしたが、住んでいたのは千葉県市川市でした。真面目に、住民票をきちんと移していたので、成人式の案内は市川市から来ました。成人式当日は快晴だったのをよく覚えています。久々にスーツを着て、大学や高校が多く集まっている国府台地区にある式典会場「市川市スポーツセンター」に、少し緊張して向かいました。
「つまらない!」誰一人知っている人がいない、完全アウェーです。至る所で「よう! 久しぶり」と楽しく語らっている由緒正しい市川市民である参加者の集団ができていました。その間を縫うようにして受付に向かった時は、本当に寂しかった。
式典の最中は、今と違って(?)参加者は静かに市長の話などを聞いていたので、普通に参加できていましたが、式典が終わると「さあ、飲みに行こう」というプチ同窓会が至る所で再開しました。「早くこの場所から立ち去りたい!」私は記念品(赤い表紙で30cm四方の立派な写真用アルバムでした)をもらい、そそくさと会場を後にしました。
「やっぱり成人式は地元に限る!」を痛感しました。

大学の同級生のほとんどが住民票を移動していたので、住んでいる自治体ごとに成人式は違っていました。成人の日の翌日、大学で同級生と成人式の話題になり、情報交換しているとき、とても寂しい気持ちだった私は、逆に、市川市の成人式を誇らしげに語りました。
同級生M「江東区は、第2部は岩崎宏美オンステージだった!」(※岩崎宏美:歌手。その時20歳で式に参加。当時は超売れっ子歌手。『ロマンス』『シンデレラ・ハネムーン』などのヒット曲多数)
同級生A「船橋市の第2部はサーカスオンステージだった!」(※サーカス:男女4人のコーラスグループ。当時は人気グループ。『Mr.サマータイム』『アメリカン・フィーリング』などのヒット曲あり)
MとA「阿部。市川市の第2部は誰だったんだ?」
私「(堂々と)市川市民音楽隊!!」(2021.1.15)

日時: 2021年01月15日 11:32

2021年01月06日

明けましておめでとうございます

2021年。令和3年。明けましておめでとうございます。

今年は、新型コロナウイルス感染を避けるため、昨年までとは違った新年を迎えました。

《初詣》
DSC_1015copy.JPG10歳から約30年間、天童市の東方の山にある「めでためでたの『若松寺』」に初詣に行っていました。元日の朝8時頃、自宅を出発し、片道5.4kmを歩いて往復するのが恒例でした。
ここ20年くらいは、時間短縮のため、元日の午前10時頃、車で舞鶴山の麓にある「建勲神社」にササッと初詣に行き、新年のご挨拶に直行していました。
しかし、今年は密を避けるため、午後1時半に人があまりいないことを確認しながら、建勲神社へ初詣に行ってきました。分散初詣を意識する人が多いようで、翌日の午後4時に、また建勲神社に行ってみたところ、売店のテントもあり、初詣をする人も数名いました。

《初売り》
毎年1月2日は、気合いを入れ、朝「5時起き」で仙台の初売りに行っていました。平成27年だけは、最初に三井アウトレット仙台港に行きましたが、他は全て藤崎デパートの開店前の長蛇の列の中にいました。遅くとも午前7時前に列に並ぶので、まだ薄暗く、極寒の中、1時間以上待っているのは辛いのですが、列に配られるチラシをもとに作戦を立てながら待ちました。
藤崎での第1回戦を終了すると、モール長町の第2回戦へ移動するパターンがほとんどです。ほぼ買い物が終了すると、モール長町で朝食兼昼食を取るのですが、疲れた体と頭は午後2時か3時頃の雰囲気で、一日が終了した感じです。しかし、実際の時間は午前10時ちょい過ぎ。ちょっとした時差ぼけを毎年味わっていました。
残念ながら今年は、新型コロナウイルスが心配なので、早々と行かないことを決めました。(なんとコロナ禍でも初売りはしたようです)来年は安心して行けるといいなと願っています。
※昨年(2020年)の話ですが、藤崎の福袋で「ナイスアイディア!」と思ったのは、「子(ね)年記念! 八木山動物公園『カピバラ』お世話体験&ふれあい館バックヤードツアー福袋」(限定4組、2,000円)です。小さい子供がいれば、即飛びついただろう夢のある福袋でした。

《奉納絵馬》
ここからはPRですが、山形市六日町にある「熊野神社」に、毎年、干支の大きな絵馬(大判用紙より少し大きめ)が2枚、本殿の両脇に奉納されています。神社に近い、山形五中の美術部と山形東高の美術部の生徒の作品です。あまり知られていませんが、「熊野神社」というと樹齢数百年の二本の欅「夫婦欅」が有名です。山形市の中心部にあるとは思えないくらい、見事な二本の巨木です。機会があれば、是非、足を運んでみてください。

今年もよろしくお願いします。(2020.1.6)

日時: 2021年01月06日 13:59

2020年12月15日

今年はねずみ年だった…

今年も残すところ、あと半月。去年の今頃は、「2020年は東京オリンピックが主役の年」と思っていたのですが、誰にも忖度しない(?)新型コロナウイルスが、遠慮なく主役になってしまった2020年でした。

先日、本社で、ある作業をしている時、来年の干支である「牛」のキャラクターが話題になりました。その時、「今年の干支は何だっけ?」と今年の干支すら忘れている自分自身に気づき、いかにボーッと生きているか改めて認識した次第です。学校に勤務していた頃は、文章を書く時や生徒に話をするときに、干支を話題にすることもあったので、「今年の干支」を忘れることはありませんでした。いざ、学校を離れてみると、まず文書を書かないので、「今年の干支」など知っている必要は全くなく、改めて「ネズミだよなぁ?」とわざわざネットで確認している自分に、ほんの少しですが衝撃を受けています。

「ねずみ年か…」
「ねずみ」と言えば「ミッキーマウス」しかない! そこで、今回は無理矢理「ミッキーマウス」と「ディズニー」の思い出について触れてみたいと思います。

私が子供の頃から「ミッキーマウス」はありましたが、私にとっては「鉄腕アトム」や「ポパイ」と何ら変わりない普通の存在でした。
今のように、日本において、「ミッキーマウス」が他のキャラクターよりはちょっと特別な存在になったのは、やはり「東京ディズニーランド」がオープンしてからだと思います。個人的には、今から40年前、1980年にロサンゼルスのディズニーランドに行った時から、「ミッキーマウス」は私にとっては特別な存在で、その時購入した「ミッキーマウス」のバッジやキャプは、アメリカに行ったということをちょっと自慢するための貴重なアイテムでした。
こうしてみると、「ミッキーマウス」を特別な存在にしたのは「ディズニーランド」という夢の国であり、「ディズニーランド」への憧れが「ミッキーマウス」を特別な存在にしたように思います。

DSC_1005copy.jpg話は変わって、「ディズニー」という言葉が私の脳にインプットされたのは、小学校4~5年の頃に放送された、ずばり『ディズニーランド』というテレビ番組でした。日曜日の夜の7時からの1時間番組で、冒頭にウォルト・ディズニー自らが出演し、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つから、ティンカー・ベルが妖精の粉を振りかけた一つの国をとりあげ、それに関連した内容(物語)を紹介するものでした。映像が美しく、とてもリアルで、内容も濃く、あっと言う間に時間が過ぎてしまう秀作でした。その頃の私にとって、「ディズニーランド」といえば「遊園地」ではなく、この「テレビ番組」を指しました。

最後に、「ねずみ年」は「変化の多い年」と言われますが、「その通り!」と実感した1年でした。

※写真は1980年に初めてロサンゼルスの「ディズニーランド」に行ったときの写真をスマホで改めて撮ったものです。左の写真の中央にいるのが私(黒いパイレーツの帽子)です。(2020.12.15)

日時: 2020年12月15日 13:03

2020年11月30日

自転車通勤レポート3

自転車通勤をより快適にするために買い換えた部品についての報告の第2弾です。

【サドル編】
「自転車乗り」なら、誰もが通過する「お尻痛」の問題。短時間なら問題ありませんが、長時間乗っていると、必ず「お尻痛」が起こります。一旦起こると、休憩等でだましても解消することはなく、頻繁に「立ちこぎ」をしてごまかすしかありません。

《タオル作戦》
高校2年生の夏に酒田市をベースにして庄内をツーリングをしました。天候との兼ね合いで、きついとわかって実行した二日間の強行日程。一日目は鳥海ブルーラインを鉾立(五合目)まで登り、象潟を経由して戻る。二日目は新潟県境に近い鼠ヶ関往復。その結果、鼠ヶ関からの帰路、由良坂あたりで「お尻痛」が我慢の限界を超えました。持っていたタオルをたたんでサドルにしき、だましだまし帰ったのですが、「タオル作戦」は全く効果なしでした。

《レーサーパンツ作戦》
自転車専用の服装に「レーサーパンツ」があります。ピチッとしたスパッツ(ハーフパンツが主)の股間部分に、スポンジ入りのパッドが縫い込んである代物です。初めて買ったのは、35年くらい前で、今と違い、パッド内側の直接肌に当たる部分の素材は「羊皮」でした。今は、通気が良い化学繊維素材で、パッドもスポンジだけでなく、ショックを吸収する「ゲル」 も入っています。
私のジジイ度が進んだ約10年前、2時間も乗っていると「お尻痛」が発生し、家にたどり着くまで大変だったので、人生2本目の「レーサーパンツ」を買いました(レースには出ません)。
『効果あり!』。100%解消されたわけではありませんが、半日くらいのツーリングでは、「お尻痛」に悩まされることはなくなりました。今年、新たに4枚追加購入し、自転車通勤の際も、かなりの頻度で「レーサーパンツ」を着用しています。

DSC_1000copy.jpg《知らなかった…サドルの進化》
今年の9月、東京の自転車販売店から届いた広告メールを開くと、「お尻の痛みが出にくいサドル」という画面がドーンと出てきました。そのサドルは、なんとサドルの中央部分に穴が開いているのです。この時、初めて「穴あきサドル」の存在を知りました。
調べてみると、かなり前から(10年以上か…)穴あきサドルは存在し、いろいろなメーカーが様々な穴あきサドルを作っていました(種類も多く、価格もピンキリです)。
9月、好天に恵まれた週に5日連続で自転車通勤したことがありました。レーサーパンツを着用していましたが、さすがに、ちょっとお尻に違和感を感じ、「やばいかな?」と思っていたそんな時に、この広告メールと出会ってしまったのです。早速、ネットで注文しました。
『穴あきサドル恐るべし!』。異次元の感覚。想像以上のフイット感。早く知っていれば…。今、「レーサーパンツ」と「穴あきサドル」で快適に自転車通勤しています。(2020.11.30)

日時: 2020年11月30日 11:42

2020年11月12日

新聞配達

私は小学校6年生の1月から中学校2年生の9月までの1年8ヶ月間新聞配達をしていました。

やるきっかけは、友人が新聞配達を手伝い始めたことです(友人の兄が新聞配達をしていた)。夕刊配達だったので、学校から帰宅すると、遊び半分で、何人かの同級生と一緒に配達に付き合っていました。しばらくすると「本格的に配達をやってくれないか」と新聞販売所の店主から頼まれ、数名の同級生とともに夕刊配達(手伝いではなく一人ひとり配達地域が割り当てられた本格的なもの)を始めました。
1ヶ月後、同級生は次々と離脱していきましたが、私は配達先のいろいろな方から励ましの声をかけていただいていたことや、店主からの強い依頼もあり、断り切れずに続けました。
※小中学生の新聞配達は『労働基準法56条』により手続きを踏めば可能です。

部活動も始まるので中学校入学を機にやめようと思っていたのですが、「何人かの中学生も朝刊配達をしているのでやってくれないか」と店主に強く頼まれ、またまた断り切れずに朝刊にシフトを変えて新聞配達を続けました。
毎朝、5時に起床し、販売店に向かいました(1年8ヶ月で休んだのはボーイスカウトのキャンプの2日間だけでした)。約60軒分の新聞を数え、チラシを挟み込み(結構大変な作業です)、販売店を出発。配達を終えると直帰し、6時半前に帰宅。6時半からラジオの「基礎英語」を聴くという、自分で言うのも何ですが、絵に描いたような理想的な生活をしていました。

DSC_0975copy2.jpg新聞配達で一番辛かったのは、11月から12月末くらいまでの「雨」の日でした。
10月に入ると、朝刊配達の時間帯はギリギリセーフの明るさですが、11月になると結構暗くなり、12月になると朝刊なのに「夜間」配達のようになります。
本当に夜だと、9時頃まではほとんどの家は玄関や部屋の明かりがついていますが、朝は玄関の明かりがほとんどついてないので真っ暗です。そこに雨が降ると、まさに「暗黒の世界」となります(注:個人的な感想です)。
雨の日は、雨ガッパからしたたり落ちる雨粒がとても冷たく、自転車のハンドルを握る素手(雨で手袋が濡れると新聞をつかんだ時もっと濡れてしまうので素手でした)がかじかみました。
今は、雨の日の新聞は、1部ごと薄いポリ袋状態に包装されて配達されますが、私が中学生の頃はそんな物はありません。約60部の新聞全体を、厚めの大きなビニールで覆って、雨で濡れないようにして(新聞を守るようにして)移動し、新聞の束から1部を抜き取り、濡れないように素早くポストに入れる作業を、真っ暗な冷たい雨降りの中でやることは大変辛いことでした。
明確な目的があって新聞配達を続けたわけではありませんが、この貴重な体験は自分自身をとても強くしたと思っています(修学旅行で4日間休むことをきっかけに新聞配達を終了しました)。

今現在、毎朝、「ご苦労様」と心でつぶやいて新聞をポストから取り出しています。(2020.11.12)

日時: 2020年11月12日 13:40

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