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2020年09月15日

自転車通勤レポート1

4月から自転車通勤を始めて約半年が過ぎようとしています。4月1日のブログでも予告しましたので、自転車通勤の様子を報告したいと思います(第1弾)。

はじめに、自転車通勤を実践した日ですが、車が必要な日と雨の日以外は結構なペースで実践しています。4月は12日、5月は13日、6月は10日、7月は1日、8月は6日。天候が順調だった6月第1週は月から金まで毎日自転車通勤でした(7月はドクターストップのため約1ヶ月ママチャリすら厳禁でした。8月は夏休みと監査のため自転車通勤の機会が減少しました)。
通勤コースですが、天童市内の大半は、JRの線路の東側を並行する、ほとんど車が通らない市道を通ります(天童南駅付近から免許センター通りの清池跨線橋まで)。天童市と山形市の境界である傾斜のきつい天山橋(立谷川)を越えると、果樹園脇の農道に逸(そ)れ、漆山踏切を東から西へ渡り、漆山駅前を通過します(それから先のルートは後日お知らせします)。

《自転車通勤に係る探究型学習1…プチ開かずの踏切》
自転車通勤二日目に「プチ開かずの踏切」に遭遇しました。
漆山踏切(漆山駅のすぐ北側)を渡る直前、「上り列車」が来たため警報器が鳴り遮断機が下りました。私は遮断機のすぐ目の前で列車通過を待ちました。しかし、列車が通過し終わっても遮断機は上がりません。「連続して『つばさ』でも来るのかな?」と漆山駅の方を見ると、今にもホームに停車しそうな「上り列車」の遙か彼方に、「下り列車」の姿を見つけました。その「下り列車」がホームに到着しても遮断機は上がりません。乗客が乗り降りしている時も遮断機は上がりません。ホームに到着して1分後、「下り列車」が発車し、のろのろと踏切を通過すると、ようやく遮断機が上がりました。結果的に、「上り列車」と「下り列車」の両方が踏切を通過する4分間ちょいの時間、足止めを食らいました。朝の4分は結構もったいないです。
DSC_0941copy.JPGそこで探究型学習(?)開始です。
【設定した課題】…「プチ開かずの踏切」を避けるにはどうすればいいか。
【課題解決の方法】…私が踏切に到着する時刻を様々変えてみる(原始的な、頭脳は使わず体を使った試行錯誤)&観察&ネット等による調べ学習。
【分かったこと】
①時刻表通りなら、8時16分頃に「上り列車」が踏切を通過し、すぐに遮断機は上がる。
②時刻表通りなら、8時19~20分に漆山駅で上りと下りの列車交換が行われる。
③時刻表通りなら、8時18分頃に「下り列車」が漆山駅に近づくと遮断機は下がる。「下り列車」が踏切を通過するまで上がらない(ホーム停車中も含め2~3分は遮断機は下がりっぱなし)。
④チャンスタイム:8時16分過ぎの1~2分間は踏切を渡れる。それを逃すと上記③となる。
⑤自転車通勤二日目に遭遇した4分間ちょいの「プチ開かずの踏切」は、たまたま「上り列車」が遅れたため、「下り列車」が漆山駅に近づく時間と重なってしまい、偶然に起こったようだ。

試行錯誤の結果、今は漆山踏切到着時刻8時16分を目標にし、毎回、順調に踏切を渡っています。まさに、体力勝負ともいえる探究型学習の賜です。(2020.9.15)

日時: 2020年09月15日 09:20

2020年09月02日

September

9月になりました。英語で言うならセプテンバー。この「セプテンバー」から、個人的に一番先に連想するのは、アメリカのファンク(今は死語か?)グループ「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」の『セプテンバー』という曲です。1978年に発売された曲なので、かなり古いのですが、今でもテレビやラジオなどから流れてくることがあるので一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。巨人の阿部慎之助がバッターボックスに入るときの応援ソングに使われたり(実は私は知らなかった…)、映画『ナイトミュージアム』のエンディングテーマにも使われました。
私は、この『セプテンバー』が大好きなので、今もYouTubeで見たりすると止まらなくなってしまいます。楽しみ方は、本家の「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」の演奏を何本か見た後、いろいろな人が演奏しているのを見て、更に、この曲に合わせて踊るダンスパフォーマンスを見るという『セプテンバー』フルコースです。しばし、自分の年齢を忘れて、20歳になります。

さて、セプテンバーをネットで検索すると、結構「September11」という言葉が出てきます。皆さんご存じの通り、2001年9月11日にアメリカで起きた「同時多発テロ」のことです。
当時、私は県庁に勤務しており、いつもより少し早い午後10時過ぎに自宅に着きました。リビングのテレビに映っているのは、ビルの真ん中くらいから炎をあげている「ニューヨーク世界貿易センタービル(ツインタワー)」でした。はじめは、映画かドラマと思ったのですが、テレビ画面の「LIVE」を見て、とんでもないことが起こっているんだと事の重大さを理解しました。

DSC_0930copy.JPGこの件に関して個人的な思い出(?)を二つ書きます。
一つ目。「いつかニューヨークに行って見たい!」と思っていた私にとって、2本並んでそびえる世界貿易センタービルはニューヨークの象徴でした。大学時代に見た映画『ニューヨーク1997』で主人公のカート・ラッセルが人質救出のためグライダーで着地したのがこのビルでしたし、ニューヨークの摩天楼の中でも一際高くそびえているのがこのビルでした。「今から旅行で訪れても、もう見ることはできないんだ」「早く行けばよかった」と不謹慎にも残念に思ったことです。
二つ目。当時、天童の我が家は「毎日新聞」をとっていました。翌朝、9月12日のトップ記事は「国内初の狂牛病の疑い」でした。しかし、県庁に配達された毎日新聞のトップ記事は「同時多発テロ」で、燃えさかる世界貿易センタービルの写真が大きく掲載されていました。配達地区によって、印刷される「版」が違うことは知っていましたが、「狂牛病」と「同時多発テロ」の違いは、天童市と山形市の違い、「ド田舎」と「プチ都会」の差となって、私に精神的な落ち込みを与えました。唯一の救いは、河北町から来ている同僚のお宅も毎日新聞で、トップ記事が「狂牛病」だったのですが同僚は沈黙を守っていました。その後、私が「狂牛病」と「同時多発テロ」の違いを職場に触れ回ったことに安心したのか、「谷地も狂牛病でした…」とカミングアウトしたことでした。

9月は急激に夕暮れが早くなります。暑さは和らぐ分、なんかさみしい気持ちになります。いよいよ秋です。今年は、「天高く馬肥ゆる秋」を言い訳にしない、「スポーツの秋」にしたいと、今は心に誓っています。(2020.9.1)

日時: 2020年09月02日 09:16

2020年08月17日

今年もやって来た暑い夏

今年は、例年になく梅雨明けが遅れ、山形県もようやく8月2日に「梅雨明けしたとみられる宣言」がありました。
7月は、「ずっと雨が降っていたんじゃないか」と錯覚するほど、晴れ間の少ない月でした。当然、梅雨特有の、肌にまとわりつく様な湿気の多い不快な暑さが続きました。「早く梅雨明けしてほしい」と、その時は思いましたが、梅雨が明けた途端、最高気温が35度前後の日が急に増え、「今までの暑さはほんの序の口。日本の夏をなめんなよ!」と言わんばかりの猛暑が続き、気楽に梅雨明けを願うのではなかったと、今更後悔しています。

今、地球温暖化のせいなのか、強烈な暑さの日が当たり前のように続きます。昔はもっと涼しかった? いや、暑い日は確かにありましたが、猛暑がこんなに毎日続くようなことはなかったと思います。また、日中暑くても夜はちゃんと涼しくなり、朝方は肌掛け布団ぐらいないと寒いくらいだったと記憶しています(私の「個人的な感想」です…)。

DSC_0923copy.jpg皆さんご存じの通り、山形市は74年間、日本の最高気温記録(1933年7月25日・40.8℃)を保持していました。1933年当時、私はまだ生まれてませんので当然記憶はありませんが、1978年8月3日(私が大学1年の時)に酒田市で40.1℃を記録した時のことは覚えています。その頃は、まだ日本で40℃を超えることはまれで、東北地方では1933年の山形市以来の40℃超えの記録でした。その日の山形市の最高気温は37.7℃でしたが、それでも燃えるような高温を経験したのは初めてだったので強烈に覚えています。暑さのあまり、蝉が何匹か落ちてきて、仰向けになった状態でもがきながら鳴いている姿に驚きました。また、夜になっても気温は下がらず、ドライサウナの中にいるような熱風の息苦しさが朝まで続きました。
翌年の1979年8月27日、山形市の最高気温は36.8℃でした。それほどたいした気温ではありませんが、その日は山形市北部の某鉄工所でアルバイトをしていました。工場の窓は全て開放されていましたが、溶鉱炉から溶岩のように真っ赤に流れ落ちてくる鉄と36.8℃の熱風のダブル攻撃の中で、次から次に運ばれてくる鋳型のバリ取りを黙々と続けました。作業着は、汗のためバケツで水をかぶった様な状態でした(以前聞いたことがあった通りに、水飲み場に塩が常備してありました。私は「そんなに塩分を取って大丈夫?」と思い塩はなめませんでした)。

今でもはっきり覚えている大学生の時の二つの暑さ。当時はめったにない「最高気温37.7℃と36.8℃」だったので記憶に残っていますが、今は猛暑日は当たり前になり、記憶に残るほど特別なことではなくなっています。昨年8月15日、鼠ヶ関で40.4℃を記録しました。すっかり忘れていました。昨年のことなのに、しかも40℃を超したのに、ネットで調べて「ようやく思い出す」程度です。ここ10年くらい、最高気温が37℃や38℃と報道されても、「ふつう~」と言う感じで受け流しています。このまま温暖化が続けば、10年後の天気予報では「今日は40℃を超す『超(チョウ)猛暑日』になるでしょう」という表現が日常茶飯事になるのでしょうか…。 

残暑が続きます。お体にご自愛ください。(2020.8.17)

日時: 2020年08月17日 13:44

2020年08月03日

体にしみついたラジオ体操

夏休みに入ると、どこの子供会も、まるで法律で定められている儀式のごとくラジオ体操を行います。例年なら、早朝6時30分に公園や広場に鳴り響く、小さなラジオの能力の限界を超えたフルボリュームの苦しそうなラジオ体操の音楽。今年は、まだ、聞いていません(今年はコロナの影響で、8月に入っても子供たちは普通に学校に通っています)。

私が子供の頃から、すでに子供会のラジオ体操はありました。私は寝坊助で、朝6時30分から始まるラジオ体操は苦痛でした。「なんで世の中にラジオ体操なんてあるんだろう」と恨みました。何回か遅刻、または欠席をしました。そのため、ラジオ体操の最終日、ご褒美の品をもらうとき、後ろめたい気持ちでご褒美のノート(今と違い、毎年毎年、地味な大学ノート2冊でした。しかも表紙に「参加賞」とゴム印が押してあります)をもらったことを思い出します。

DSC_0918%20%28002%292020.JPG時は流れ、20数年後、私の長男が4歳になったとき、まだ子供会に入会する年齢ではありませんでしたが、近くの小学校で行われていたラジオ体操に親子で参加しました。自由参加なのですが、家族旅行の時以外は毎回参加しました(親になると少しは立派になるもんだ…)。
長男が小学校に入学すると、私は子供会の役員を引き受けたので、ただ参加すればいいという立場から運営する側になり、ひと夏に4~5回くらい、当番(ラジオ持参、カードへのはんこ押し等)が回ってきました。私が所属していた子供会は、「超」が付くぐらい熱心でやる気のある保護者集団で、1年中大変楽しく充実した活動をしていました。そのためラジオ体操の実施期間も長く、3週間弱はやっていました。また、参加人数も多く、子供はもちろん、保護者、祖父母、近隣の住民など、多いときは100人くらい集まりました。

長男が小学校に入学した年から、長女が小学校を卒業する年までの11年間、子供会の役員を続けました。そのため、夏休みだけですが、自由参加の3年間+11年間=14年間、ラジオ体操を続けたので、ラジオ体操が体に染みついてしまいました。今でも、ラジオ体操の音楽さえ流れれば、順番を間違えずに、第1も第2も体操することができます。

若い頃は、ラジオ体操は「への役にも立たない」かったるい存在でした。しかし、55歳を過ぎた頃から、ラジオ体操は「気を抜くと怪我をする」甘く見てはいけない存在になりました。実によく考えてある体操だと、年を食ってから、しみじみ思います。全身の様々な部分をくまなく動かす工夫、年齢に関係なく誰でも無理なくストレッチする工夫、この体操を毎日行ったら健康寿命は確実に延びるだろうと勝手に持ち上げてしまうほどです。
でも、老齢の私にとって体操の「ジャンプ」は危険です。下手すると肉離れを起こしそうで怖いです。そのため、会社でラジオ体操をするときは、慎重にジャンプのまねをしていました。そんな時、偶然ですが「危険なジャンプ」を克服する技を開眼しました。腕をまっすぐ体側にくっつけて姿勢正しくジャンプするのではなく、「グー」を握った腕を肘から曲げて胸にくっつけ、ジャンプする瞬間は肘を軽く開き、降りるときは肘を閉める、まるで幼児がお遊戯をしているようにジャンプすると意外に安全に飛べます。よかったら試してみてください。(2020.8.3)

日時: 2020年08月03日 09:43

2020年07月21日

初めての入院

個人情報なので詳細には触れませんが、人生で初めて入院しました。たった3日間だけですが、「制約される生活は想像以上に大変。あと、いいです!」と言うのが率直な感想です。
それでも「入院から学ぶものがあった」と強がって見せるのは元教師のサガなのか…。

学んだこと(その1)「車椅子」
指の治療の局部麻酔は何回か経験がありますが、下半身全部が麻痺する様な麻酔は初めてでした。病室にもどるときの移動方法は車椅子です。看護師さんに押されて「ドナドナドーナドーナ~♪」と売られていく子牛のごとく進む車椅子に乗りながら、「あれ? 俺って、今まで車椅子乗ったことがないかも…」「まずいなぁ」と急に暗い気持ちになりました。
というのも、私自身、街で車椅子を押したり、持ち上げたりという経験があったので、「自分は車椅子に乗ったことがある」と勝手に脳にインプットしていたからです。さも車椅子乗車の経験があるかのように、「車椅子を利用する人の身になって考えてみよう」と社会科の授業でヘラヘラ言いました。車椅子を使って生徒に乗車体験させたときも、「実際に体験することが大事なんだ」とヘラヘラ言いました。「やばいなぁ~。偉そうに言ってしまった…」と深く反省しています。
無理やり話題を「学んだこと」に戻して、実際に車椅子に乗ってみての「気づき」を述べます。
気づき1:意外とアイポイントが低い(立っている人がプロバスケットの選手に見える感じ)
気づき2:意外と不安定(力の加減を間違えると車椅子ごと倒れそう)
気づき3:廊下が狭く感じる(人や物の間を通過するときぶつかりそう)
気づき4:乗り降りが大変(足が麻痺しているので、ベッドへの移動は危なかった)
気づき5:重量級患者は重労働(私を押してくれた看護師さんが大変そうだった。全身の力を込めて押して、ようやく動き出す。狭い場所での方向転換はとても難儀で、ゴミ箱やコンセントにぶつかりながら何回も切り返して、ようやく脱出)

学んだこと(その2)「食器の工夫」
DSC_06362020.JPG入院の楽しみは食事しかないと言っても過言ではありません。ご飯のどんぶりと味噌汁のお椀は保温のため二重構造になっていて、分厚い蓋がついています。ベッドの傍らで、無人島にいるかのごとく、孤独に食べている最中はとても暇なので、蓋を眺めるしかありませんでした。「おっ!」、小さくですが、蓋の一部分がぶっ欠けていることを発見しました。でも、私は気にしません。次の食事の時も、どんぶりの蓋の一部分がぶっ欠けていました。「連続かよ…」、でも、私は気にしません。しかし、そのぶっ欠けが私に向かって「俺はぶっ欠けじゃねぇよ。もっとよく見ろ!」と呼びかけてきます。しょうがないので、じっと見ると、人為的な二等辺三角形のぶっ欠けであることに気づきました。お椀の蓋にも同じようなぶっ欠けがあります。「なるほど!」、私は気づきました。説明します。
よくあること:食堂や旅館で汁椀の蓋がなかなか取れなくて苦戦したこと。病院で、それは困ります。これは、「ぶっ欠け」ではなく、蓋を取りやすくするための由緒正しい「空気溝」だったのです。

私の病室には、他に5名の患者さんがいました。看護師さんとの会話などから、みんな大変な不安(私もそうでしたが、むしろ恐怖の方が正しいかも)で一杯一杯な状態であることが伝わってきました。皆さんの早い回復と退院を願っています。(2020.7.21)

日時: 2020年07月21日 11:00

2020年07月14日

サマータイム

7月と言えば夏休み。しかし、今年はコロナウイルスのため、学校の夏休みは遙か彼方です。
さて、夏至から半月が過ぎましたが、今も朝の4時頃から夕方の7時頃まで明るく、1年で最も長く屋外活動ができる時期です。また、早起きして何か「ひと仕事」するにはもってこいの季節でもあります。そんなことを考えているうち、アメリカで体験したサマータイムを思い出しました。

まず、雑学から。かつて日本でもサマータイムが導入されていました。GHQ政権下の1948年から4年間、電力不足を補うことなどを理由に始められましたが、多くの国民の反対で廃止されました。最近では、東京オリンピックの猛暑対策で、サマータイムが一時話題になりました。

PICT0110202001.JPGアメリカのサマータイムは、資源節約を目的に第二世界大戦中に復活し、現在に至っています。実施期間は、3月第2日曜日から11月第1日曜日まで(今年は3月8日から11月1日まで)です。サマータイムというと、なんとなく真夏の3ヶ月間ぐらいの期間というイメージですが、約8ヶ月間という結構長い期間実施しています。私が研修で訪問した2003年は、今より少し短い期間で、4月第1日曜日から10月第4日曜日まででした。訪問した時期はサマータイムが終盤の10月中旬。訪問先はロサンゼルスの南、IT関係企業が多く集まる新興都市のアーバイン市です。
印象に残っている一つ目。サマータイム(標準時間より1時間早い)なので、まだ真っ暗な朝5時。なんと、ホテルの真横を走る片側7車線のサンディエゴ・フリーウェイの登り車線が、ベッドライトをつけた車で大渋滞していたことです。しばし、驚きと疑問を感じながら大渋滞を眺めていました。大渋滞の理由は、多くの企業の始業時刻が早朝の6時頃だということです。アメリカは国土が広大なため4つの時間帯があります。やはり経済の中心はニューヨークで、一番東側の時間帯です。ロサンゼルスは一番西側の時間帯で、3時間の時差があります。例えば、ニューヨークの本社の始業時刻が9時とします。ロサンゼルの支社がそれに合わせれば、6時の始業時刻になってしまうのです。こんなに秋深くまでサマータイムを引っ張らなければ、出勤する時は、もう少し明るいだろうにと思ってしまいました。
二つ目は、10月26日午前2時にサマータイムが終了したときです。日本なら、前日から「サマータイムが終了します」「時計を1時間戻してください」と、テレビや新聞を通して何回も、うるさいほど注意喚起するだろうと思われます。しかし、何もありませんでした。騒ぐわけでもなく、ホテルのフロント係が「時計の調整はしましたか?」と言ってくれるわけでもなく、前日と変わりない、普通の一日の様に標準時間の生活が始まっていることに驚きました。そんな中、ホッとするものをバスの車窓から見つけました。それは、大きなビルの壁に設置してある、まだサマータイムのままの巨大時計です。時計なんですが、「あっ。忘れてました…」と言っているようでした。

もし、日本でもサマータイムが導入されたらどうでしょう。1時間早く帰宅し、夕方の時間を有効に使う「ゆとりのある生活」になるでしょうか? 働き方改革の真っ最中に、まさか「明るい分もっと部活動をしよう!」はさすがにないと思いますが…。(2020.7.14)

日時: 2020年07月14日 14:02

2020年07月01日

七夕と花山の星空

暦年でいうところの1年の半分が過ぎ、いよいよ後半の7月です。本格的な梅雨空とムッとする蒸し暑さが続き、私にとっては苦手な季節です。7月という言葉から思い浮かぶのは「七夕」です。また、それに関連して「天の川」や「織姫と彦星」など星空に関したことも思い浮かびます。
 
まず、「織姫と彦星」に関して余計な話を一つ。仙台をホームタウンとするサッカーJ1クラブ「ベガルタ仙台」のベガルタは、仙台名物の七夕にちなみ、「織姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ (Vega)」と「アルタイル (Altair)」を合わせた造語です。
ベガルタ仙台の前身は東北電力サッカー部で、創部3年目の1991年から東北社会人サッカーリーグにおいて3年連続2位となり、1994年にプロサッカークラブ「ブランメル仙台」を立ち上げました。ちなみに、3年連続優勝したチームはモンテディオ山形の前進であるNEC山形サッカー部でした。

今回のメインの星空にもどります。今、全く雲のない、透き通った夜空を見上げても、見える星の数はとても少ないと思います。ご存じの通り人工の明かりが増えた影響です。金星はもちろん、北極星や北斗七星ははっきり見えますが、私が子供の頃は見える星の数はもっと多かったと思います。また、天の中心部分の星は見えますが、地上に近い端の部分に星を見ることはできず、星空が狭くなったような(?)感じがします。

DSC_0910003.JPG20年以上前の話になりますが、当時勤務していた山形七中の2年生は、毎年5月、宮城県の栗駒山近くの「国立花山少年自然の家」での2泊3日の宿泊学習が恒例でした。花山少年自然の家は、奥羽山脈の山奥にあり、人里から遠く離れた本格的な自然の家です。1日目の夜のプログラムは定番の「夜間ハイキング」です。夜間ハイキングは真っ暗なコース(山道)を懐中電灯は持たずに行動するため、どうしても足下だけに注意がいきます。そのため、空を見上げる余裕などありません。コースを回り終わった班から中央広場で他の班の到着を待ちますが、暗闇で怖いので隣同士で話はしますが上を見ることはありません。全部の班が到着し、静かになったところを見計らって、「上を見てごらん」と声をかけると、「ウワー」という大歓声が上がります。山形市では見ることができない、降ってくるような星空に生徒は驚きます。恐ろしいほどの数の星が花山の天空を埋め尽くしています。天の中心はもちろん、自然の家の周りの木々にくっつくように端っこまで星が見え、「まるで宇宙にいるような星空」を体験した瞬間でした(残念ながら、山形県からの、花山少年自然の家の利用は年々減少し、現在はほんの数校だけとのことです)。

9年前に同じ体験をしました。東日本大震災が発生した直後、県内のほとんどが停電になった真っ暗な夜のことです。時々雪が降ってくる曇り空でしたが、帰宅許可が出た夜7時、鳥海小・中中学校の昇降口を出た時、偶然にも雪雲が切れ、「こんなに星ってあるのか!」という星空を見ました。人工の明かりが消えると、原始の星空が、すぐに現れるんだと思いました。

山形市内では、花山の星空みたいに、降ってくるような星空は見られませんが、たまには「七夕」の夜、星をのんびりと眺めるのもいいかもしれません。(2020.7.1)

日時: 2020年07月01日 13:47

2020年06月22日

あなたは熊ですか?

時は6月21日、午後2時30分。場所は東根市の北東にある堂の前公園。沼を一周する遊歩道(1周500m)をウオーキングしている時です。沼の一番奥、遊歩道と山に向かって斜面になっているところの間に、人の背丈の1.5倍ほどの高さまでツツジの木が群生しているところがあります。その茂みの前を通過しているときです。
「む!!!」。ツツジの茂みが揺れています。「バキバキ」と枝が折れる音がします。一緒に歩いている配偶者にアイコンタクトを送り、茂みが揺れているところを指差しました。茂みの揺れと「バキバキ」という音は続いています。「何かいる!」。声を出さず、足音を立てないように、走らず、でも早足でその場を離れました。時々振り返りながら安全を確認し、沼のちょうど反対側の駐車場まできてから、しばらくその茂みを見ていました。その時、ちょうど茂みの前を歩いている男性が突然びっくりしたように立ち止まり、茂みの様子を見ながら静かにその場を離れていきました。私たちだけではない。確かに何かいる! その後数分間、茂みを見ていましたが、正体は何なのか結局不明のままです。「バキバキ」の音からして小動物ではなさそうです。堂の前公園は以前から熊の目撃情報があり、いたるところに「熊出没注意」の看板が立っています。本当に熊だったら、ちょっと危なかった!

DSC_0847%20%28002%292020.JPG思い出した熊の話をもう一つ。
今から10年ほど前、山辺町の山中、鳥海小・中中学校に勤務していたときです。晩秋の頃、グラウンド脇の山道に熊の糞を発見しました。すぐ町役場に連絡をしたところ、「熊注意」の蛍光カラーの「のぼり旗」が多数設置され、見通しをよくするため校地に隣接する雑木は、一週間ぐらいかけて全てきれいに伐採してくれました。さらに猟友会の方が熊を捕獲する罠を校地から100mくらい離れた山中に設置してくれました。
学校としての対策は、班で登校する小学校の児童には、班長に「熊よけベル」他は「熊よけ鈴」を、個々に登校する中学校の生徒には全員「熊よけベル」を配布しました。
毎朝、登校班を迎えるために歩いていた私は、車から降りるとすぐにサッカー審判用の強力ホイッスルを力一杯吹きながら学校を出発し、途中の町道では大きな「熊よけベル」を鳴らしながら歩きました。
また、小学生が下校する時はまだ明るいのですが、中学生が下校する時は日が暮れて真っ暗です。そこで、しばらくの間、学校を取り囲む漆黒の山と森林に向かって、グラウンドのスピーカーから大音量で『タイム・トゥ・セイ・グッバイ(イギリスの歌手サラ・ブライトマンで有名)』を流し、熊にも帰宅を促しました(?)。結局、学校の近くで熊を見たことはなく、また、熊を見たという情報もなく、糞だけが唯一の根拠で、雪が降るまで大騒ぎをしました。

今年は、熊出没のニュースや熊注意の県警からのメールがとても多いです。人家近くの里山でも多くの熊が目撃されています。今後、熊が出そうなところに出かける場合は、熊よけベル(鈴)を持参したいと思います。皆さんも十分注意してください。(2020.6.22)

日時: 2020年06月22日 14:19

2020年06月01日

衣替え

6月1日というと最初に思い出されるのは「衣替え」です。「衣更え」「更衣」とも表されますが、古くは平安時代から始まった日本の文化の一つです。
今は、地球温暖化の影響もあり、5月から夏の服装へ移行することも多く(クールビズも5月から始まっています)、6月1日を契機に服を替えることは少なくなったのではないでしょうか。

その「衣替え」が、特に「6月1日の衣替え」が今も残っているのが学校です。学校といっても、制服がある小学校は一部なので、中学校と高校のみといってもいいのではないでしょうか。この頃は、5月でも暑い日が多く、気持ち的にはすでに夏なのですが、白い制服姿の生徒たちを見かけると、「いよいよ本格的な夏が始まるのだなあ」と改めて感じます。

DSC0196420200601.JPG時代とともに服装に関する考え方もどんどん変わり、流行はあると思いますが、それに縛られることなく、自分の好きなものを自分らしく着る社会になってきたように思います。
その流れからすると、当然、学校の制服もなくなり私服に変わっていくだろうと思っていましたが、意外に学校の制服は根強く残っています。はっきりした理由はわかりません(かなり前に、私服登校の日を設けた中学校の話です。最初、生徒は喜んだのですが、次第に着ていく服に困り、制服の方が他人の目を気にすることなく安心だということで私服登校の日は廃止されたそうです)。

制服といっても、私が中学校、高校の頃に比べれば自由度は大きくなっています。高校の夏服ですが、ポロシャツ着用可能な学校が多くなっているようです。色も、白に限らず、紺、黒、グレーなどの地味な色なら可能なようです。中学校でも、2年前にポロシャツを導入した学校があります。また、「衣替え」の時期も、暑かろうが寒かろうが6月1日から一斉に夏の制服に切り替える昔と違い、前後1週間程度の移行期間を設けている学校がほとんどです。

変化の激しい現代社会の中で、少しばかりの自由が加わりながら、中学校と高校の制服は今も生き続けています。そのお陰で、「衣替え」という季節を感じる文化を忘れずにいることができます。もし、中学校と高校の制服が無くなったら、「衣替え」の言葉も廃れて、日常から消えてしまうのでしょうか。そう考えると、衣類の一種としての「単なる制服」ではなく、日本古来の文化の一つ「衣替え」を守っている「文化の継承者」のようにも思えてきます。(2020.6.1)

日時: 2020年06月01日 11:21

2020年05月19日

知らなかった…簡単に見られるISS

字数の関係でタイトルに「ISS」と使ってしまいましたが、本当は「国際宇宙ステーション」と書きたかったのです。「ISS」は「国際宇宙ステーション」=「International Space Station」の略語です。

5月17日の夜7時50分頃。スーパーに買い物に行って、自宅から少し離れた私の駐車場に車を駐めて歩き始めたときです。突然の「こんばんわ」の声。「チコちゃん」に怒られそうな感じで、無防備にぼーっと歩いていたので、不意を突かれた形になり、なかり驚いてしまいました。声の主は、駐車場向かいのSさんの敷地の暗闇にいます。少し目が慣れてくると人影がわかるようになり、電灯が消された玄関先にSさん家族が座っているのが確認できました。

「こんばんわ」と私も挨拶を返しましたが、夜に、意図的に電灯を消して真っ暗にして、家族全員が玄関の階段に座っているという状況に興味をもたないほうが不思議です。当然、「何をなさっているのですか?」と尋ねてみました。すると「国際宇宙ステーションが今から通過するので見ているんです」という、これまた意表を突く答えが返ってきました。

「南西の方角から見えてくるらしいです」という言葉に続いて「あれかな?」というSさんの指さす方向を見上げてみると、金星のように明るく輝く丸い物体が、結構な速さで、天空の中心部分に向かって移動するのが見えました。予想外の大きさ、速さ、はっきり見える等々で、私のテンションも上がり、全速力で自宅に戻りました。家族にふれ回り、あわてて双眼鏡を持って再び外に飛び出しました。

時間にして約3分。南西の空から、天空の中心部を通過し、北東の空に消えて行きました。天空付近を通過するときが一番大きく輝いていました。双眼鏡で見ても、星のような点にしか見えませんでしたが、初めて見た国際宇宙ステーションは、想像以上にはっきりと見え、大変満足な天体観測?になりました。

探究型学習開始。国際宇宙ステーションについていろいろ調べて見ました。
地上約400km上空を、時速27,700kmで移動します(ISSは秒速7.7km。ライフル銃の弾の初速度が秒速2.5~3km。弾より倍以上速い!)。地球を約90分で1周するので、1日で約16周します。このように、国際宇宙ステーションは常に地球を回っているので、2週間から1ヶ月おきぐらいに、数日から1週間ぐらい日本で見ることができます。今回見逃した方はあと見られないと言うことではなくて(数年に1回しか見られない彗星などと違う)、これからも定期的に見られると言うことです。

インターネットで「国際宇宙ステーション 見える」で検索すると、次に見られる日時や方角が紹介されています。興味のある方はぜひ、次の星空の時に見てはいかがでしょうか。(2020.5.18)

日時: 2020年05月19日 09:04

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