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2021年06月15日

気仙沼のジュニアジャズバンド

私は、なぜか平成24年度から、NHK連続テレビ小説を録画して夜に見るようになりました。自分の好みでない2作品以外はずっと見ています。今年の5月17日から104作目の「おかえりモネ」が始まりました。6月4日(木)放送で、主人公のモネ=永浦百音(清原果耶)が小学生から中学生にかけてサクソフォンを吹いていた気仙沼のジュニアバンドのシーンがありました。それを見たとき「これって『気仙沼ドルフィンズ』でねえの!?」と再生で飛ばしたタイトル曲の部分を再度見直し、テロップで「気仙沼ドルフィンズ」を確認し、とても懐かしい気持ちになりました。
「気仙沼ドルフィンズ」を知ったのは、毎年9月の第2土日に開催される、仙台市の「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」でたまたま演奏を聴いたことに始まります。

DSC_1141copy.JPG「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」について
1991年(平成3年)に始まったジャズを中心とした音楽フェスティバルです。「定禅寺通り」をメインに「勾当台公園」「一番町」「西公園」などに、ちょっとした演奏会場を約90カ所設け、約700組5000人の演奏家が、入れ替わり立ち替わり30分程度演奏します。道端での演奏なので客席はなく、歩きながら気に入ったら立ち止まって聴くという、まさに「お祭り」です。
私は、このジャズフェスティバルの存在を知った平成13年以降、毎年見に行っていました。
何年目か忘れましたが、宮城県民会館の隣の「仙台定禅寺ビル」入口のちょっとした広場で演奏していた小中学生の演奏が、あまりにもノリノリにスイングしていたので見入ってしまいました。それが「気仙沼ドルフィンズ」です。小中学生が緊張しながらも、生き生きと演奏している姿にうれしくなったのを覚えています。フェスティバルに出ていた多くの演奏者の名前は気にもとめませんでしたが、唯一覚えていたのが「気仙沼ドルフィンズ」です。
※余談ですが、東日本大震災が発生した2011年(平成23年)は9月10日(土)と11日(日)の開催でした。偶然にも二日目は震災から丁度半年後。午後2時46分、演奏している全員が演奏を中断し、黙祷代わりに全員が1分間「C(ド)」の音を出し冥福を祈りました。

「気仙沼ドルフィンズ」 について
正式名称は「気仙沼ジュニアジャズオーケストラ THE SWING DOLPHINS」です。1993年(平成5年)の学校週5日制施行にあわせ、地元の音楽家が子供たちに音楽の素晴らしさを伝えたいと結成されました。メンバーは小学校5年生から中学生までで、地元の小学校を借りて練習しています。
東日本大震災の時は、被災してかなりの楽器や楽譜を失いましたが、すぐにアメリカのニューオーリンズのライブハウスからサックスやトランペットが寄贈されました。震災1ヶ月後の4月24日には、避難所の気仙沼市総合体育館で演奏会を行い、被災した人々を勇気づけました。

このジャズフェスティバルですが、昨年はコロナのため中止でした。今年は大幅に規模を縮小し開催する予定ですが、私は感染防止のため行きません。来年は行けることを期待しています。
(写真:イオンモール天童の東側、跨線橋斜面に群生するオオキンケイギク?〈特定外来生物?〉)

日時: 2021年06月15日 10:38

2021年06月01日

空にまつわる3つの話

その1
【5月23日(日)午後2時50分頃】
新型コロナにより、1年間延期されていた山形市での「東北絆まつり」が、パレード無しの規模縮小で、5月22日(土)と23日(日)の二日間の日程で開催されました。やはりメインは2日目の午後に予定されていた「ブルーインパルス」の飛行です。
DSC_1135copy.JPG本番3日前の5月20日(木)の午後2時半。練習のために6機編制のブルーインパルスが山形市の上空を、白いスモークをたいて飛んでいる姿を目撃しました。「本番はカラースモークで、もっとすごいんだろうな!」と勝手に期待を膨らませ、当日を楽しみにしていました。
住まいのある天童からはよく見えないので、午後1時過ぎに山形市に向けて自宅を出発。いきなり、天童市内から渋滞です。勝手知ったる裏道を抜けながら山形市を目指しました。大きい道に合流すると、また渋滞。霞城公園で見る予定(甘い考えでした)でいましたが、変更して山形教育用品本社の近くの沖東公園に、裏道を駆使して向かいました。馬見ヶ崎川に架かる万歳橋は、すでにかなりの人出です。本社駐車場も見たこともない車でほぼ満車状態。沖東公園には小学校の運動会のごとく大勢の人が集まっていました。「山形市の中心ではない、北の外れなのに、こんなに人がいるなんて…」 想定外? 同じことを考えている人がこんなにいるのか!
肝心のブルーインパルスですが、天候の関係なのか、4機編制と白スモークで若干残念でした。天童への帰り道(県道も国道)もすごい渋滞で、また裏道を帰りました。

その2
【5月26日(水)午後8時15分頃】
約3年ぶりの皆既月食。しかもスーパームーンの皆既月食は約24年ぶりだそうです。
残念ながら、自宅のある天童からは、低い空にうっすらと雲がかかっていたので、クリアーな皆既月食ではありませんでしたが、一応「見ました」というレベルの、赤銅色の皆既月食でした。

その3
【5月14日(金)午後8時30分頃】
この日の朝、ISS(国際宇宙ステーション)が大きく見えるというカーラジオの情報。
夜8時25分。雲のない、くっきりとした星空。自宅の隣の公園で空を見上げていました。
どの方角から飛行しているのか聞き漏らしたので、全方向に目をこらして数分後。天空に、北方面から南に向かって直線に移動する星(全く星にしか見えませんでした)を発見。「前回見たのよりも小さいなぁ。ま、見えただけいいか」 「そうだ! 娘にも知らせよう」娘は前回のISSは見ていなかったのでダッシュで家に呼びに行きました。
私:「あそこに小さく見える移動している星みたいなやつ、わかるか?」
娘:「結構大きいんだね」
私:「でかく見えるって? どこをみているんだ?…あれ? 南の方から金色に輝くでかいのが飛んできた!」
私が最初に見たのは、全く別の人口衛星だったようです。結構、飛んでいるんですね。

日時: 2021年06月01日 10:27

2021年05月17日

My Favorite Place 2

前回は、私だけが知る絶景(勝手に思っているだけです)の穴場スポットを紹介しましたが、引き続き第2弾を紹介したいと思います。

今回の場所は私の地元「舞鶴山のビューポイント」です。
舞鶴山にはいくつかの登山道があるようです。私も何本かしか登ったことはありませんが、獣道のような道なのかも不明なものから、新鮮な靴跡が残っている往来の多い道まで様々あります。
今回紹介したいビューポイントは、舞鶴山の北西、建勲神社の北側の斜面に広がる「つつじ公園」を出発する登山道の中腹に位置します。

DSC_1120copy.JPGその前に「つつじ公園」について触れます。この公園のつつじの見頃は、5月上旬から中旬にかけてです。今年は5月1日から15日までライトアップもされました。満開の頃は、平地から見ると、新緑の山の一部分が鮮やかなオレンジ色や紫がかった鮮やかなピンク色(つつじ色と言うらしいです)に染まって、燃えているようです。また、公園には、大正時代に鼻を垂らした子供たちにちり紙を配って鼻をかむ習慣の定着に尽力した「はなかみ先生」の碑もあります。

さて、今回紹介する登山道は、つつじの木に遠慮するかのように、公園の北の端の崖? すれすれに作られています。公園から登り始めての前半は、急な斜面に木の杭が打ってある階段になっています。登りながら、つつじの花を横や上から眺めることができます。つつじの木が終わりかけたとことから、階段ではなく急な坂道になります。
一つ目の大きなカーブを曲がると林の中に入って行きます。木々に囲まれた本格的な山道です。二つ目の大きなカーブを曲がり30mほど進むと、突然木々が途絶え、見晴らしの良いステージのような広場(元の建勲神社が建っていた場所だそうです)に到着します。
見晴らしが良いのはそこだけで、更に上に行くと、また林の中に入っていきます。

その広場(ビューポイント)からは、舞鶴山の西に広がる絶景? を望むことができます。
天童の市街地(一軒一軒の屋根の形、通行中の車、JRの列車、信号機の色までよく見える)、更に西に広がる田畑、その先の中山町や寒河江市方面の街並みが一望できます。
DSC_1127copy.JPG天候が良い日は、その景色の奥に白鷹山をはじめとする西部丘陵、その背後にそびえる朝日連峰、月山、葉山が幾重にも重なるグラデーションとなって目を楽しませてくれます。
自画自賛のビューポイントですが、夏は刺す虫や蛇が出そうで行きません。冬は積雪で行けません。虫や蛇が出ない涼しい春と秋にしか行きませんが、私のお気に入りの場所の一つです。

写真はライトアップされた「つつじ公園」と「舞鶴山のビューポイント」から望む夕陽の風景です。

日時: 2021年05月17日 11:17

2021年05月06日

My Favorite Place 1

今年のゴールデンウィークも、昨年に続き、ほぼ自宅で生活する「巣ごもりウィーク」でした。天候も悪く、外出する気にならなかったこともありますが、なんといっても新型コロナが終息するまでは、遠出はしないと自主規制をしているのが大きな理由です。

DSC_1106copy.JPGしかし、青空が広がると、外出したくなるのが私の習性。近間で、人がいないところを選びながら、車や自転車で、ふらっと出かけることがよくあります。そんなこともあって、絶対有名でいない、私だけのマニアックなビューポイントをいくつか持っています。

そこで、今回から、タイミングを見て、私だけが知る絶景(勝手に思っているだけです)の穴場スポットを紹介していきたいと思います。

第1回目は、最上川の堤防に鮮やかに咲く、「菜の花畑」です。
場所は、東北中央道東根北インターチェンジの西方、最上川右岸(東側)の堤防です。東根市かと思いきや、最上川の東なのに河北町なのです。地名は吉田といいます。奥羽山脈に源を発し、東根市内を流れる「白水川」が、最上川と合流する南側の地区です。
※車で行くには、道は狭く、分かりづらいところです。

私が好きなサイクリングコースに村山市の碁点橋から東根市の野田までの最上川右岸堤防の上の快適な舗装された道があるのですが、その中間点にあります。この場所は、何回も通っているのですが、菜の花がこれだけ群生しているのは知りませんでした。たまたま、菜の花が満開の時に通ったので「発見」という感じです。前後1週間ずれていたら知らないままになっていたと思います。

DSC_1107copy.JPG写真にあるように、一カ所は完全に菜の花「畑」です。これだけ「密」なのもあまり見かけません。また、堤防の東側斜面の菜の花は、近くの集落の人たちが観賞用に栽培しているのかと想像してしまうほど、斜面全体に広がっています。
なんといっても「香り」! 目でみても楽しいのですが、菜の花の香りがガンガンきます。久しくかいだことのない、懐かしい様な菜の花の香り。こんなに香りがするのはここだけだな!(ちょっと大げさか?)と思います。そのくらい、香ります。

「吉田の菜の花堤防」。私の「お気に入りの場所」に、今春新たに加わりました。

日時: 2021年05月06日 14:19

2021年04月15日

自転車通勤レポート4

令和2~3年の冬は、毎日毎日朝から晩まで除雪に追われ、うんざりするほどの大雪でしたが、2月頃からは降雪も減り、3月に入ると好天も相まって、予想外の早い雪解となりました。

DSC_1101copy.JPG自転車通勤の出番です! 3月9日から待ちに待った自転車通勤を再開しました。久々の自転車は気分爽快! ストレス解消! ダイエット効果期待大! etc.(昭和の香りがする懐かしいetc)

昨年の秋、自転車通勤を終了したのは11月25日。朝の寒さは我慢できても、つるべ落としの夕暮れの暗さは危険満載。車はもちろん、反射材なしの通行人、無灯火の自転車、あるはずがない道路上に鎮座する障害物など、あらゆるものに神経を使っての自転車通勤は結構厳しいものがありました。降雪はまだでしたが、私の年齢と安全面を考えて終了を決断しました。
一方、新たに知ったことがあります。昔から使っていた電池式のヘッドライトとテールランプを新しいものに買い換えました。とてもコンパクトになったにもかかわらず、その明るさは原付バイクのライト並みです。しかも充電式。日々進化する製品の高品質化には驚かされます。

さて、今年の4月は大変暖かく、薄着でも快適(帰宅時は暑いぐらいの日もある)で、自転車通勤にとってはベストのコンディションです。
DSC_1083copy.JPG透明感のある爽やかな空気、快晴の青空、残雪が輝く朝日連峰、桜や梅や木蓮の白やピンクの花、帰宅時のオレンジ色の夕映えに黒く連なる山々のシルエット…。
But、空中漂う虫との遭遇、家畜小屋のにおい、散歩中の犬に吠えられる等も一興です。

特別に何かをするわけでもなく、朝夕の通勤手段を自転車にしているだけで、毎日、季節の変化を十分味わうことができるのは、ある意味贅沢なことです。
まずは健康な身体だということ、時間的なゆとりがあること、介護など家族に心配がないこと、定時に帰宅できること、等、とても恵まれているからなんだなぁと感謝しています。

あと何年、自転車に乗れるかわかりませんが、趣味の自転車を鱈腹味わいたいと思います。
昭和っぽく表現すれば 「No Bicycle No Life」かな?
(写真:天山橋から望む残雪の朝日連峰と本社脇の馬見ヶ崎川堤防の桜並木)

日時: 2021年04月15日 10:46

2021年04月01日

今日から令和3年度

今日(4月1日)から令和3年度がスタートします。
昨年の4月1日のブログには「新型コロナで先が見えない中の新年度」と書きましたが、1年経った今も新型コロナの終息はまだ見通せません。昨年は「1年経てば治まっているのでは…?」と少しだけ楽観的な希望を持っていましたが、世界的な疫病はやはり1年やそこらでは治まらないということを改めて思い知りました。ペストやスペイン風邪の事例があるように「歴史は繰り返す」という言葉は大変重く感じます。

昨年の3月末を振り返ってみると、山形県は新規感染者ゼロが続いている4県の一つで、ちょっとだけ誇らしいところもありました。
突然、3月31日、初の新規感染者の報道があり、「ついに山形にも来た!」と大騒ぎになったことを記憶しています。米沢市の自動車学校に合宿で参加していた県外の20代女性でした。
その日を境に、県内でも新規感染者は増え続け、連休前までの約1ヵ月間感染は続きました。

その後は、比較的ゼロの日が多く、たまに出ては、またゼロに戻ることを繰り返していました。そのせいか、たまに感染者が出ると注目の的になり、まるで犯罪者のごとく扱われ、ネット上では集団いじめのようにガンガン叩かれるということが続きました。

しかし12月。全国的傾向と同じく、県内でもクリスマスから正月にかけて感染者が急増し、その後増減をくり返しながら1月末まで続きましたが、感染者の数が多すぎて叩ききれない状況のためなのか、注目度が低くなったからなのか、理由はわかりませんが、ネット上での個人に対する集中的な書き込みは減ったような気がします。

2月に入ると比較的少し落ち着いてきたのでホッとしていましたが、3月下旬、山形市を中心に複数のクラスターが発生し、加速度的に感染者が増加しています。加速度的と表現しましたが、3月31日現在、1年間の県内新規感染者の累計は948人ですが、そのうちの40.4%に当たる383人が3月18日からの14日間に発生した数という急激さです。

DSC_1080copy.JPG昨年の年度末は感染者ゼロの県で話題を集めた山形県。今年の年度末は感染者が急増している第3波のリバウンド県として、連日全国版のニュースで取り上げられている山形県。新年度のスタートにあたりとても心配な状況です。
まず、私たちにできること。それは感染症対策です。とにかく、行動は厳しく(個々人が責任を持って確実に取り組む!)、気持ちは楽に(長い戦いなので、無理せず気楽に!)いきましょう。

最後に。スペイン風邪は2年後に終息したと言われています。「歴史は繰り返す」を冒頭では悪い方に解釈しましたが、良い方に解釈すれば新型コロナも1年後には終息するだろうということも言えるのかなぁと勝手に思っています。
(写真:4月1日朝撮影。天童市役所前、倉津川のしだれ桜の中に1本だけある「早咲きの桜」)

日時: 2021年04月01日 10:11

2021年03月11日

3.11 あれから10年

3月11日。早いもので、もう10年経ちます。
しかし、10年経っても、あの日のことは、昨日のことのように鮮明に覚えています。

DSC_0160copy.JPGあの日、自然の力の前に、人間の力は本当にちっぽけで、なんて無力なんだということを思い知らされました。科学や技術の進歩により、高性能な、最先端の製品に囲まれた生活にドップリ浸かり、自然さえもアンダーコントロールと言い切ってしまうほど、傲慢になってしまった人間の「うぬぼれ」は一瞬にして砕かれました。

大げさかもしれませんが、この震災は、「私の今までの生き方って何だったんだろう」「人間にとって本当に大事なものは何なんだろう」と自分に問いかけるきっかけになりました。というよりは、震災が「問い返せ!」と強制的に自分にそうさせたと言った方が適切なのかもしれません。

震災前は、自分では気づかなかったし、気づこうともしなかった、かなり自己中心的で、うまくいかないことがあると、ストレスを感じ、イライラし、自分以外に原因を求める生き方。
そんな私が、震災の時、痛烈に感じたのは、「生きていることへの感謝」「家族というかけがえのない存在」「見知らぬ者同士でも、声をかけ、助け合うことの温かさ」等々。

DSC_0161copy.JPG一つの例ですが、震災発生後、東日本で電力が不足していたため、計画停電をしながら、みんなで電力を分け合おうという方針が出されました。あの時は、「一日数時間の停電なら、我慢して当然。みんなで助け合わねば!」と計画停電に協力するのは当たり前という気持ちでした。
今はどうでしょう。震災当時の大変な状況にはないので同じ条件ではないのですが、わずかの時間の停電でも、「こんな時に停電かよ~」と不満を持ってしまいます。誰かが意図的に停電を引き起こしているわけではないし、荒天の中、復旧作業に全力で取り組んでいる電力会社の方がいるにもかかわらず、震災当時の譲り合いの気持ちは、どこかにすっ飛んでいます。

震災当時の方が、なぜか優しい気持ちになれました。みんなで助け合おうという気持ちにあふれていました。イライラすることも少なかった様な気がします。
現在の、不自由のない安定した生活の方が、優しさや助け合いの気持ちが小さくなり、自己中心のエゴやストレスやイライラを抱える部分が大きくなっているような気がします。

今、改めて思うのは、今後10年経っても20年経っても、「震災の記憶」は当然、「あの時感じた気持ち」も忘れてはいけないということです。

※写真は、私が震災復興ボランティアに行った宮城県亘理町の海岸の様子。(現在、コロナで県外への移動自粛中のため、2018年6月25日撮影の少々古い写真)。海岸線に新たに作られた防潮堤の上から、南側に続く「防潮堤」と『鳥の海(海とつながっている汽水湖)』に続く「整備された水路」付近です。

日時: 2021年03月11日 10:08

2021年03月01日

コロナ休校から1年

DSC_1058copy.JPG今朝も通勤途中に、体育着姿で登校する中学生の姿を見かけました。新型コロナが発生してから、儀式などの特別な日以外は、毎日体育着登校です。昨年の5月頃は、新型コロナに関する知識が少ない中で、まめな除菌対策が叫ばれていました。そのため、学校が再開したときから、洗濯がしやすい体育着での登校が始まりました。
一方、小学生は、ずっと私服なので、以前と変わりない登校風景です。高校生も、以前から、体育着登校の生徒もいれば、制服登校の生徒もいるという、混在した服装だったので、これまた、1年前と変わらない登校風景です。
このように、中学生だけは、はっきりと1年前とは違う登校風景なので目立ちます。そして、その姿は、学校における日常は完全に取り戻せてはいないという無言のメッセージのように思えてなりません。

思い返せば、1年前の2月27日夕方。当時の総理大臣である安倍晋三首相から突然発表された、3月2日からの全国一斉休校要請。
2月27日は木曜日。3月2日は月曜日。学校があるのは、友達や先生と会えるのは、そして令和元年度は、2月28日の金曜日一日だけ。こんな事が、何の前触れもなく、抵抗する間もなく、強制的に、突然やって来たのでした。
この一斉休校の検証はあったのでしょうか。政府は、一斉休校に対する批判の中で、「検証は必要だ」と言っていましたが、未だにないような気がします。多くの子供たちから、卒業式前の大事な1ヵ月を奪っておきながら、このままうやむやにしてしまうのでしょうか。過去は戻ってきませんが、将来に生かす(役立たせる)ためにも、振り返り(検証)は大事だと思います。

5月頃から学校は再開し、少しずつ動き始めましたが、同時に、制限された不自由な学校生活も始まりました。その顕著な例が、行事や大会参加等ですが、ここでは省略します。
大変ではないように見えますが、意外とダメージがあるのは、「無言の給食」ではないでしょうか。「孤食」という言葉が一般的になって久しいのですが、「無言の給食」はなんとなく「孤食」を連想してしまいます。同じ空間に、多くの仲間がいるにもかかわらず、全員が同じ方向を向いて、黙々と食べる。静まりかえった教室には、食器の音しか響かない。
もし、私が担任で、その場にいたら、その重苦しさに耐えられないと思います。
しかし、新型コロナがきっかけでよくなったこともあります。まめな手洗いやマスクの着用などの感染対策への姿勢です。今年は、インフルエンザ流行のニュースは皆無です。これだけ徹底すると、インフルエンザの流行も抑えることができるというのは驚きです。新型コロナが収束しても、毎年のようにインフルエンザは流行するでしょう。この徹底した感染対策は、今後に生かせるのではないかと期待しています。

全国一斉休校から1年。まだまだ、新型コロナの収束は見えませんが、希望を信じて、一歩一歩進んで行くしかありません。
一日でも早く、中学生が体育着でなく制服で登校する日常が戻ることを願っています。

日時: 2021年03月01日 15:15

2021年02月15日

堅雪

皆さんは、「堅雪(かたゆき)」をご存じでしょうか。若い方は当然、中年以上の方でも知っている人は少ないかと思います。ましてや、「堅雪」を実際に体験した人はほとんどいないのではないでしょうか。

「堅雪」とは、2月頃、積もった雪が日中の暖かさで少し溶け(特に表面)、快晴の夜にギンギンに冷やされ、翌朝凍って堅くなり、その雪の上を歩くことができる様な状態になることです。
道路、歩道、駐車場などに見られる踏み固められた雪や、溶けた雪がバリバリの氷になっている状態ではありません。
誰も踏み入っていない、水田や畑、原野のふわふわした雪が積もっている場所をイメージしてください。凍って堅くなったと言っても、氷の状態ではなく、表面はザラザラしていて、お菓子のウエハースの様な感じで堅くしまった雪です。また、積もった雪が全部が堅くなっているのではなく、表面の部分だけ堅くなっているのです。理解しやすいように実際によくあることを付け加えると、「堅雪」を歩いていて、たまに「堅雪」が薄い部分を踏んでしまうと、ズボッと足の付け根まで雪の中にはまります。中はさらさらの雪なのです。そのため、「堅雪」の上を歩くときは、結構慎重に、池にできた氷の上を歩くような感じで進んで行きます。

「堅雪」の醍醐味は、普段は踏み入ることができない、水田や畑、原野、たまには森林の中を、特別な道具を使わなくとも、「空飛ぶ人間」のように、好きなコースを自由に歩けることです。
私が、幼稚園や小学校低学年の時は、2月頃の晴れた寒い朝、通学班の全員が通学路を逸(そ)れ、「堅雪」をショートカットして、たまにズボッとはまりながら、楽しく通学したものです。

DSC_1051copy.JPG山辺の鳥海小・中中に勤務した時のことです。2月の快晴の朝、全てのものが凍り付いている極寒の中、畑に積もった雪が朝陽に照らされて、まるでダイヤモンドをちりばめたように光り輝いていました。「この美しい光景を写真に取らねば!」と畑に近づき、ベストアングルを探して、はまるのを覚悟して一歩畑に足を踏み入れたとき「あれ? 歩ける!」「堅雪?」。そうです。45年ぶりの「堅雪」です。学校付近の積雪は約1m50cm。はまったら大変です。慎重に、一歩一歩、足を進めました。どこまで行っても、はまりません。次第に楽しくなり、普段は行くことができない、森林が切れたところにある、見晴らしのよい谷間の縁まで行きました。快晴の青の中に、真っ白な葉山、月山、朝日連峰が連なる光景。この時期しか見られない絶景です。

「『堅雪』を子供たちに伝えねば! 今日の今の時間しかない!」(私は、毎朝、児童を集合場所まで迎えに行き、通学班と一緒に登校していました)。登校途中、児童たちに、水田の「堅雪」の上を歩いてみせ、「楽しいから歩いてみないか」と声をかけたのですが、全く無視されました。
その4年後、村山教育事務所の西に広がる水田が奇跡的に「堅雪」になり、楽しく歩いた後、所員の方々に「堅雪」を紹介しました。笑顔で話を聞いてくれましたが、今思うと迷惑なことだったと反省しています。
※写真は2月12日快晴の朝、堅雪出現。馬見ヶ崎河川敷サッカー場の堅雪を歩いた足跡。

日時: 2021年02月15日 11:06

2021年02月01日

ホワイトアウトの恐怖

先月1月19日に、ホワイトアウトが原因と思われる車140台が関係する多重事故が、東北自動車道の古川ICの北2kmの地点で発生しました。インタビューを受けていた運転手は「全く前が見えなかった。怖かった」と当時の様子を語っていました。

私もホワイトアウトを何回か経験しました。その度に、「このままでは何かに衝突する!」「しかし、止まったら、後ろから追突される!」とどちらを取るか心の中で葛藤しながら、のろのろと、ほとんど山勘で車を進め、なんとか切り抜けた時、「よく無事だったなぁ」と事故に遭わなかった偶然(ある意味奇跡)に感謝したものでした。

初めてホワイトアウトを体験したのは、教員になって2年目の冬、鶴岡であったサッカーの研修会の帰り道、月山道(国道113号線)でのことでした。第1トンネルを出たあたりで、瞬間的に白い海の中に落ちたような感じになり、自車のボンネットすら見えない状況に恐怖を感じました。しばらく、のろのろと車を進めましたが、動物的勘で「何かにぶつかりそうだ!」とブレーキを踏んで完全に停車する寸前、地吹雪が一瞬途切れて視界が広がりました。目の前にあったものは、橋の欄干です。「あぶねぇー!!」。地吹雪の恐ろしさを十分過ぎるほど学習しました。
それから、はっきり覚えているだけで、庄内で4回(鶴岡、三川、櫛引、湯殿山)、尾花沢山刀伐峠付近、東北自動車道の松尾八幡平付近でホワイトアウトの恐怖体験をしました。いずれの場所も、地吹雪によるホワイトアウトです。

DSC_1042copy.JPG1回だけ、地吹雪ではなく、雪がガンガン降ってくるために発生したホワイトアウトを経験しました。2012年2月2日の朝です。大雪のため、JRがストップしたので、子供を山形市内の高校に送ってから、勤務校(鳥海小学校・中中学校)がある山辺町に向かいました。7時半頃、山形市との境界にある大塚地区を通過したあたりから、大雪でどこが道かわからない程の積雪に追い打ちをかけるように、空から、バケツをひっくり返したような(そんな表現あるのかわからないが)大量の雪が降ってきてホワイトアウトになりました。地吹雪と違い、自車のボンネットや信号らしきもの(赤か青かは判別不能)はなんとなくわかるのですが、それ以外の全てが真っ白な世界です。止まるわけにはいかず、のろのろと車を進めました。ようやく、白い悪魔の中に、山辺町役場の建物がうっすらと見えたとき、「助かった…」と少しほっとしたものでした。

その日は記録的な大雪でした。県道18号線は、私が通過した後、平橋付近でなだれが発生し、本校の先生2人が前と後ろを雪崩で塞がれ立ち往生し、4時間後救出されました。
また、その平橋付近の「のり面」のなだれ防止作業のため、1週間もの間、県道18号線は北垣と大蕨間で通行止めになりました。私は天童から、一端山形市に向かい、山形二中、大曽根小を経由するコースを通勤するはめになりました。(なぜ、山辺の学校に勤務しているのに、山形市の西バイパスの渋滞の中にいるのか…と、ぼやく日々が1週間続きました)

※写真は今朝(2月1日、-7.8℃)馬見ヶ崎川の川面からのぼる湯気(蒸気霧)です。(2021.2.1)

日時: 2021年02月01日 10:44

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