山形教育用品株式会社 - 豊かな郷土山形を愛する子どもたちのすこやかな成長を願っています。

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2020年11月12日

新聞配達

私は小学校6年生の1月から中学校2年生の9月までの1年8ヶ月間新聞配達をしていました。

やるきっかけは、友人が新聞配達を手伝い始めたことです(友人の兄が新聞配達をしていた)。夕刊配達だったので、学校から帰宅すると、遊び半分で、何人かの同級生と一緒に配達に付き合っていました。しばらくすると「本格的に配達をやってくれないか」と新聞販売所の店主から頼まれ、数名の同級生とともに夕刊配達(手伝いではなく一人ひとり配達地域が割り当てられた本格的なもの)を始めました。
1ヶ月後、同級生は次々と離脱していきましたが、私は配達先のいろいろな方から励ましの声をかけていただいていたことや、店主からの強い依頼もあり、断り切れずに続けました。
※小中学生の新聞配達は『労働基準法56条』により手続きを踏めば可能です。

部活動も始まるので中学校入学を機にやめようと思っていたのですが、「何人かの中学生も朝刊配達をしているのでやってくれないか」と店主に強く頼まれ、またまた断り切れずに朝刊にシフトを変えて新聞配達を続けました。
毎朝、5時に起床し、販売店に向かいました(1年8ヶ月で休んだのはボーイスカウトのキャンプの2日間だけでした)。約60軒分の新聞を数え、チラシを挟み込み(結構大変な作業です)、販売店を出発。配達を終えると直帰し、6時半前に帰宅。6時半からラジオの「基礎英語」を聴くという、自分で言うのも何ですが、絵に描いたような理想的な生活をしていました。

DSC_0975copy2.jpg新聞配達で一番辛かったのは、11月から12月末くらいまでの「雨」の日でした。
10月に入ると、朝刊配達の時間帯はギリギリセーフの明るさですが、11月になると結構暗くなり、12月になると朝刊なのに「夜間」配達のようになります。
本当に夜だと、9時頃まではほとんどの家は玄関や部屋の明かりがついていますが、朝は玄関の明かりがほとんどついてないので真っ暗です。そこに雨が降ると、まさに「暗黒の世界」となります(注:個人的な感想です)。
雨の日は、雨ガッパからしたたり落ちる雨粒がとても冷たく、自転車のハンドルを握る素手(雨で手袋が濡れると新聞をつかんだ時もっと濡れてしまうので素手でした)がかじかみました。
今は、雨の日の新聞は、1部ごと薄いポリ袋状態に包装されて配達されますが、私が中学生の頃はそんな物はありません。約60部の新聞全体を、厚めの大きなビニールで覆って、雨で濡れないようにして(新聞を守るようにして)移動し、新聞の束から1部を抜き取り、濡れないように素早くポストに入れる作業を、真っ暗な冷たい雨降りの中でやることは大変辛いことでした。
明確な目的があって新聞配達を続けたわけではありませんが、この貴重な体験は自分自身をとても強くしたと思っています(修学旅行で4日間休むことをきっかけに新聞配達を終了しました)。

今現在、毎朝、「ご苦労様」と心でつぶやいて新聞をポストから取り出しています。(2020.11.12)

日時: 2020年11月12日 13:40

2020年11月02日

自転車通勤レポート2

今回は、自転車通勤をより快適にするために買い換えた部品について報告したいと思います。

【ペダル編】
《高校生の時買った自転車》
「自転車通(つう)」のペダルには「トークリップ&ストラップ」という部品が取り付けてありました。ペダルと足をしっかり固定することでパワーロスをなくし、効率よく走るための部品です。「自転車通」を装って、私もつけていました(※トークリップ&ストラップとは、スリッパの前のつっかける部分がペダルについているといった感じの部品)。

DSC_0983copy.jpg《20代後半に買った自転車》
「ツール・ド・フランス」に魅せられて、ようやく普及し始めたビンディング式ペダル(その中でも格好つけてLOOKのペダル)を東京の自転車店から取り寄せました。スキーのビンディングのように、強く踏み込むと、シューズの底に取り付けた金具が「カチッ」とはまり、かかとを横にずらすと外れるという優れものです。乗り始めの頃は、「カッコイイ! グレッグ・レモンになったようだ」と大変自己満足をしていました(※グレッグ・レモン:アメリカ人初のツールドフランス総合優勝者。その後も2回総合優勝する)。
しかし、怖いことも徐々に経験し始めました。「立ちゴケ(交差点などでビンディングが外れず自爆〔転倒〕すること)」という業界用語があります。私も、「あれっ? 外れない」やブレーキをかけて停まったとき「やばい! 事前に外すのを忘れていた」という理由で「立ちゴケ」寸前の恐怖体験を何回かしました。

《50歳で買った自転車》
「立ちゴケ」の恐怖から、ビンディング式ペダルなど全く考えませんでした。買ったときついていた普通のペダルを今も使っています。

DSC_0984copy.JPG《最近》
ネットでたまたま見つけたビンディング式ペダルの記事=「とても楽です」「一度使ったらやめられません」などの甘い誘惑。「外しやすい」マウンテンバイク用のビンディングもあるという道具の進化。自転車通勤も慣れてきたし、通勤経路の大半は農道とJRの脇道だという言い訳。等々で、9月から、通勤で使用している自転車2台のうち、ロードレーサーのペダルをビンディング式ペダル(外れやすいマルチクリートタイプ)に変えました。
実際乗ってみての感想は「驚くほど調子いい! 楽にスピードに乗ってしまう!」です。『はめる』方は、まだ時々もたつきますが、『外す』方は、ちょっとかかとをずらすだけですぐに外れるので安心です。また、一時停止や交差点のかなり手前でビンディングを外すように心がけているので、今のところ「ヒヤッ」とする危ない場面には遭遇していません。ただ一回だけ、馬見ヶ崎の万歳橋のたもとで一時停止したとき「やばい! 外すのを忘れていた」と慌てて足をメチャクチャ動かしたら、「あれ? 外れた」という危機一髪の場面がありました。ネットの書き込みに「このマルチクリートは横にずらすだけでなく、『もがく』と外れます」というものがあり、「本当かなぁ?」と疑っていましたが、まさに『もがいた』ら外れたので、道具の進化はすごいと改めて思いました。

今回は個人的な趣味の話になってしまいました。(2020.11.2)

日時: 2020年11月02日 11:35

2020年10月15日

熊野神社のお祭

かつて10月10日(東京オリンピックの開会式が行われた日)は祝日「体育の日」でした。2000年以降は固定日ではない10月第二月曜日となり、さらに今年から名称が「スポーツの日」に変更されました。

その10月10日の前日、10月9日は天童市久野本にある「熊野神社のお祭り」の日です。東京オリンピックの開会式を10月10日にしたのは、統計資料から晴れの日が多いから決めたと聞いています。従って、「熊野神社のお祭り」も晴れの日が多かったと記憶しています。
また、「明日も学校かぁー」という平日開催のお祭りは気分的にイマイチでしたが、「熊野神社のお祭り」だけは、必ず次の日は「体育の日」で休みだったので思い存分遊び回りました。小学校高学年や中学生になると、夕食後、またお祭りに出かけ、夜8時頃までフラフラしていました。

「熊野神社のお祭り」には多くの出店(でみせ)が並びます。一般的な神社の出店は、参道の両側に一列に並んでいるというイメージですが、「熊野神社のお祭り」の出店は迷路のような「激しい密」の状態が特色です。正方形に近い境内に、二重三重と出店が並び、境内のすべての場所が出店のテントで埋め尽くされるといっても過言ではありません。それを目当てに、多くの人が集まり、出店と出店の間の狭い通路はまともに歩けないほど「にぎやか」な状況で、小中学校の頃は、これがまた心のウキウキ感を刺激しました。

DSC_0964copy.JPG今は、お祭りで売っているようなものは1年中コンビニで買えますし、大型店は常に「にぎわい」を見せています。そのため、神社のお祭りといっても、山門に大きなのぼり旗が立っているので「お祭り」とわかりますが、出店などはまったくない、寂しい「お祭り」はめずらしくありません。
私が住んでいる地区の「加茂神社のお祭り」も同様で、出店はゼロです。熊野神社の神主である同級生が神事のために来てくれたとき、「熊野神社は相変わらずにぎやかだずね」と話しかけると、「いやいや。出店の数は結構減ってんのよう」とのことでした。
確かに、全盛期の比べれば出店の数も集まる人も少なくなっていますし、2000年から「祝日の前日」ではなくなりましたが、今でも、地元の住民だけでなく、日中から夕方にかけては小学生が、夕方から夜にかけては部活動が終わった中高校生が多く押し寄せ、相変わらずの「にぎわい」を維持しています。

残念なことに、今年はコロナのため出店は中止になってしまいました。夕方、神社に行って見ると、お参りに来る人もまばらで、巨木に囲まれた薄暗い境内は、寂しいよりは怖い感じでした。
コロナ収束後は、昔ながらの「にぎわい」を感じることができる数少ないお祭りとして、そして、私の子どもの頃の記憶をよみがえらせてくれる不変の景色として、「熊野神社のお祭り」が例年並みに復活することを祈っています。(2020.10.15)

追伸:写真はお祭り2日後の熊野神社の様子です。境内の真ん中に、社会科の授業でも教材として使わせてもらった国土地理院の「水準点(105.6m)」があります。

日時: 2020年10月15日 10:27

2020年10月01日

「K」との遭遇

「あれは何だ! 犬?→でかすぎる→やぎ?(「崖の上のヤギ以来、ペットとして脚光を浴びている)→リードがついていないし放し飼いはありえない→あっ! カモシカだ!!」
令和2年9月20日午後5時。天童市街地の真ん中にそびえる舞鶴山の山頂駐車場入り口付近の道路上で、ついに(!)初めてカモシカと遭遇しました。

私のジョギングコースの一つに、舞鶴山山頂「おおけやき」のところの展望台を折り返すというのがあります。展望台に行くまでいろいろなコースを選択できるのですが、大抵は、ヤマザワ天童中央店近くの「天童公園登口」から登りはじめ、自動車が通れる道を、建勲神社、文学の碑(イザベラバードの文学碑もある)、山頂駐車場を経由して展望台に向かうコースを利用します。
舞鶴山の各コースは、坂道なので適度な運動負荷があり、かなり利用しますが、5月下旬から9月下旬まで利用しません。理由は「ヤブ蚊」です。きつい坂道をチンタラ走っていると、どこからともなくやって来て、数匹まとわりついて離れません。それがいやで暑い季節は避けています。

ようやく涼しくなってきたので、「ヤブ蚊」の引退を確認するため、久しぶりに走ってみました。文学の碑近くのトイレから山頂駐車場までの坂道(ジョギング爺〔ジジイ〕にとっては「心臓破りの坂」)を登り切ろうとしたとき、駐車場からバーベキュー広場へ、ゆっくり移動しているカモシカと遭遇しました。カモシカとの距離、約10m。

DSC_0957copy.JPG舞鶴山は、山頂駐車場も愛宕沼親水空間も、大型犬から小型犬までたくさんの犬が散歩をしている、「犬の銀座(ちょっと古い表現か?)」です。この日も、山頂駐車場付近には多くの人と犬がいたにも関わらず、道路には作業中のおじさんがいたにも関わらず、人目を気にせず、あまりにもゆったりと「犬の銀座」を歩いているカモシカを見て「一瞬、散歩中の犬」と錯覚しても不思議ではありません。その証拠(?)に、カモシカが目の前にいることをしゃべりたくてしょうがない私は、作業中のおじさんに「あれって、カモシカですよね…」と声をかけると、「このジジイ、何を言っているんだ。こんなところにカモシカなどいるわけないだろう。犬に決まっているだろう!」という感じで、反応は冷たく、しばらく無言でした。時間にして5秒、カモシカの移動距離にして6m。ようやく作業中のおじさんは「カモシカだなぁ」と独り言のように小さい声で反応してくれました。

カモシカの角は小さく若々しい感じがしたので、子どもから大人へ成長したばかりのカモシカと思われます。大きさは、ゴールデンレトリバーの1.5倍くらい、色は濃くも薄くもない茶色でした。目と目が合いましたが、お互い単なる通行人という感じでスルーされました。
舞鶴山でカモシカを見たという話は15年くらい前から聞いていました。番(つがい)と子どもの3匹がいるらしいという話も聞きました。「市街地にあっても、山は山。舞鶴山にカモシカがいてもおかしくはない」と思っていましたが、いざ本当に遭遇してみると、「やっぱりいたんだ」とテンションがあがり、話さずにはいられません。なので今回早速取り上げてみたのでした。
※追伸 スマホ(カメラ)を持たずに走ったのでカモシカの写真なし。代わりに、昔の人間将棋広場から文学の碑近くの斜面に大群生しているヒガンバナの写真を載せました。(2020.10.1)

日時: 2020年10月01日 09:26

2020年09月15日

自転車通勤レポート1

4月から自転車通勤を始めて約半年が過ぎようとしています。4月1日のブログでも予告しましたので、自転車通勤の様子を報告したいと思います(第1弾)。

はじめに、自転車通勤を実践した日ですが、車が必要な日と雨の日以外は結構なペースで実践しています。4月は12日、5月は13日、6月は10日、7月は1日、8月は6日。天候が順調だった6月第1週は月から金まで毎日自転車通勤でした(7月はドクターストップのため約1ヶ月ママチャリすら厳禁でした。8月は夏休みと監査のため自転車通勤の機会が減少しました)。
通勤コースですが、天童市内の大半は、JRの線路の東側を並行する、ほとんど車が通らない市道を通ります(天童南駅付近から免許センター通りの清池跨線橋まで)。天童市と山形市の境界である傾斜のきつい天山橋(立谷川)を越えると、果樹園脇の農道に逸(そ)れ、漆山踏切を東から西へ渡り、漆山駅前を通過します(それから先のルートは後日お知らせします)。

《自転車通勤に係る探究型学習1…プチ開かずの踏切》
自転車通勤二日目に「プチ開かずの踏切」に遭遇しました。
漆山踏切(漆山駅のすぐ北側)を渡る直前、「上り列車」が来たため警報器が鳴り遮断機が下りました。私は遮断機のすぐ目の前で列車通過を待ちました。しかし、列車が通過し終わっても遮断機は上がりません。「連続して『つばさ』でも来るのかな?」と漆山駅の方を見ると、今にもホームに停車しそうな「上り列車」の遙か彼方に、「下り列車」の姿を見つけました。その「下り列車」がホームに到着しても遮断機は上がりません。乗客が乗り降りしている時も遮断機は上がりません。ホームに到着して1分後、「下り列車」が発車し、のろのろと踏切を通過すると、ようやく遮断機が上がりました。結果的に、「上り列車」と「下り列車」の両方が踏切を通過する4分間ちょいの時間、足止めを食らいました。朝の4分は結構もったいないです。
DSC_0941copy.JPGそこで探究型学習(?)開始です。
【設定した課題】…「プチ開かずの踏切」を避けるにはどうすればいいか。
【課題解決の方法】…私が踏切に到着する時刻を様々変えてみる(原始的な、頭脳は使わず体を使った試行錯誤)&観察&ネット等による調べ学習。
【分かったこと】
①時刻表通りなら、8時16分頃に「上り列車」が踏切を通過し、すぐに遮断機は上がる。
②時刻表通りなら、8時19~20分に漆山駅で上りと下りの列車交換が行われる。
③時刻表通りなら、8時18分頃に「下り列車」が漆山駅に近づくと遮断機は下がる。「下り列車」が踏切を通過するまで上がらない(ホーム停車中も含め2~3分は遮断機は下がりっぱなし)。
④チャンスタイム:8時16分過ぎの1~2分間は踏切を渡れる。それを逃すと上記③となる。
⑤自転車通勤二日目に遭遇した4分間ちょいの「プチ開かずの踏切」は、たまたま「上り列車」が遅れたため、「下り列車」が漆山駅に近づく時間と重なってしまい、偶然に起こったようだ。

試行錯誤の結果、今は漆山踏切到着時刻8時16分を目標にし、毎回、順調に踏切を渡っています。まさに、体力勝負ともいえる探究型学習の賜です。(2020.9.15)

日時: 2020年09月15日 09:20

2020年09月02日

September

9月になりました。英語で言うならセプテンバー。この「セプテンバー」から、個人的に一番先に連想するのは、アメリカのファンク(今は死語か?)グループ「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」の『セプテンバー』という曲です。1978年に発売された曲なので、かなり古いのですが、今でもテレビやラジオなどから流れてくることがあるので一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。巨人の阿部慎之助がバッターボックスに入るときの応援ソングに使われたり(実は私は知らなかった…)、映画『ナイトミュージアム』のエンディングテーマにも使われました。
私は、この『セプテンバー』が大好きなので、今もYouTubeで見たりすると止まらなくなってしまいます。楽しみ方は、本家の「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」の演奏を何本か見た後、いろいろな人が演奏しているのを見て、更に、この曲に合わせて踊るダンスパフォーマンスを見るという『セプテンバー』フルコースです。しばし、自分の年齢を忘れて、20歳になります。

さて、セプテンバーをネットで検索すると、結構「September11」という言葉が出てきます。皆さんご存じの通り、2001年9月11日にアメリカで起きた「同時多発テロ」のことです。
当時、私は県庁に勤務しており、いつもより少し早い午後10時過ぎに自宅に着きました。リビングのテレビに映っているのは、ビルの真ん中くらいから炎をあげている「ニューヨーク世界貿易センタービル(ツインタワー)」でした。はじめは、映画かドラマと思ったのですが、テレビ画面の「LIVE」を見て、とんでもないことが起こっているんだと事の重大さを理解しました。

DSC_0930copy.JPGこの件に関して個人的な思い出(?)を二つ書きます。
一つ目。「いつかニューヨークに行って見たい!」と思っていた私にとって、2本並んでそびえる世界貿易センタービルはニューヨークの象徴でした。大学時代に見た映画『ニューヨーク1997』で主人公のカート・ラッセルが人質救出のためグライダーで着地したのがこのビルでしたし、ニューヨークの摩天楼の中でも一際高くそびえているのがこのビルでした。「今から旅行で訪れても、もう見ることはできないんだ」「早く行けばよかった」と不謹慎にも残念に思ったことです。
二つ目。当時、天童の我が家は「毎日新聞」をとっていました。翌朝、9月12日のトップ記事は「国内初の狂牛病の疑い」でした。しかし、県庁に配達された毎日新聞のトップ記事は「同時多発テロ」で、燃えさかる世界貿易センタービルの写真が大きく掲載されていました。配達地区によって、印刷される「版」が違うことは知っていましたが、「狂牛病」と「同時多発テロ」の違いは、天童市と山形市の違い、「ド田舎」と「プチ都会」の差となって、私に精神的な落ち込みを与えました。唯一の救いは、河北町から来ている同僚のお宅も毎日新聞で、トップ記事が「狂牛病」だったのですが同僚は沈黙を守っていました。その後、私が「狂牛病」と「同時多発テロ」の違いを職場に触れ回ったことに安心したのか、「谷地も狂牛病でした…」とカミングアウトしたことでした。

9月は急激に夕暮れが早くなります。暑さは和らぐ分、なんかさみしい気持ちになります。いよいよ秋です。今年は、「天高く馬肥ゆる秋」を言い訳にしない、「スポーツの秋」にしたいと、今は心に誓っています。(2020.9.1)

日時: 2020年09月02日 09:16

2020年08月17日

今年もやって来た暑い夏

今年は、例年になく梅雨明けが遅れ、山形県もようやく8月2日に「梅雨明けしたとみられる宣言」がありました。
7月は、「ずっと雨が降っていたんじゃないか」と錯覚するほど、晴れ間の少ない月でした。当然、梅雨特有の、肌にまとわりつく様な湿気の多い不快な暑さが続きました。「早く梅雨明けしてほしい」と、その時は思いましたが、梅雨が明けた途端、最高気温が35度前後の日が急に増え、「今までの暑さはほんの序の口。日本の夏をなめんなよ!」と言わんばかりの猛暑が続き、気楽に梅雨明けを願うのではなかったと、今更後悔しています。

今、地球温暖化のせいなのか、強烈な暑さの日が当たり前のように続きます。昔はもっと涼しかった? いや、暑い日は確かにありましたが、猛暑がこんなに毎日続くようなことはなかったと思います。また、日中暑くても夜はちゃんと涼しくなり、朝方は肌掛け布団ぐらいないと寒いくらいだったと記憶しています(私の「個人的な感想」です…)。

DSC_0923copy.jpg皆さんご存じの通り、山形市は74年間、日本の最高気温記録(1933年7月25日・40.8℃)を保持していました。1933年当時、私はまだ生まれてませんので当然記憶はありませんが、1978年8月3日(私が大学1年の時)に酒田市で40.1℃を記録した時のことは覚えています。その頃は、まだ日本で40℃を超えることはまれで、東北地方では1933年の山形市以来の40℃超えの記録でした。その日の山形市の最高気温は37.7℃でしたが、それでも燃えるような高温を経験したのは初めてだったので強烈に覚えています。暑さのあまり、蝉が何匹か落ちてきて、仰向けになった状態でもがきながら鳴いている姿に驚きました。また、夜になっても気温は下がらず、ドライサウナの中にいるような熱風の息苦しさが朝まで続きました。
翌年の1979年8月27日、山形市の最高気温は36.8℃でした。それほどたいした気温ではありませんが、その日は山形市北部の某鉄工所でアルバイトをしていました。工場の窓は全て開放されていましたが、溶鉱炉から溶岩のように真っ赤に流れ落ちてくる鉄と36.8℃の熱風のダブル攻撃の中で、次から次に運ばれてくる鋳型のバリ取りを黙々と続けました。作業着は、汗のためバケツで水をかぶった様な状態でした(以前聞いたことがあった通りに、水飲み場に塩が常備してありました。私は「そんなに塩分を取って大丈夫?」と思い塩はなめませんでした)。

今でもはっきり覚えている大学生の時の二つの暑さ。当時はめったにない「最高気温37.7℃と36.8℃」だったので記憶に残っていますが、今は猛暑日は当たり前になり、記憶に残るほど特別なことではなくなっています。昨年8月15日、鼠ヶ関で40.4℃を記録しました。すっかり忘れていました。昨年のことなのに、しかも40℃を超したのに、ネットで調べて「ようやく思い出す」程度です。ここ10年くらい、最高気温が37℃や38℃と報道されても、「ふつう~」と言う感じで受け流しています。このまま温暖化が続けば、10年後の天気予報では「今日は40℃を超す『超(チョウ)猛暑日』になるでしょう」という表現が日常茶飯事になるのでしょうか…。 

残暑が続きます。お体にご自愛ください。(2020.8.17)

日時: 2020年08月17日 13:44

2020年08月03日

体にしみついたラジオ体操

夏休みに入ると、どこの子供会も、まるで法律で定められている儀式のごとくラジオ体操を行います。例年なら、早朝6時30分に公園や広場に鳴り響く、小さなラジオの能力の限界を超えたフルボリュームの苦しそうなラジオ体操の音楽。今年は、まだ、聞いていません(今年はコロナの影響で、8月に入っても子供たちは普通に学校に通っています)。

私が子供の頃から、すでに子供会のラジオ体操はありました。私は寝坊助で、朝6時30分から始まるラジオ体操は苦痛でした。「なんで世の中にラジオ体操なんてあるんだろう」と恨みました。何回か遅刻、または欠席をしました。そのため、ラジオ体操の最終日、ご褒美の品をもらうとき、後ろめたい気持ちでご褒美のノート(今と違い、毎年毎年、地味な大学ノート2冊でした。しかも表紙に「参加賞」とゴム印が押してあります)をもらったことを思い出します。

DSC_0918%20%28002%292020.JPG時は流れ、20数年後、私の長男が4歳になったとき、まだ子供会に入会する年齢ではありませんでしたが、近くの小学校で行われていたラジオ体操に親子で参加しました。自由参加なのですが、家族旅行の時以外は毎回参加しました(親になると少しは立派になるもんだ…)。
長男が小学校に入学すると、私は子供会の役員を引き受けたので、ただ参加すればいいという立場から運営する側になり、ひと夏に4~5回くらい、当番(ラジオ持参、カードへのはんこ押し等)が回ってきました。私が所属していた子供会は、「超」が付くぐらい熱心でやる気のある保護者集団で、1年中大変楽しく充実した活動をしていました。そのためラジオ体操の実施期間も長く、3週間弱はやっていました。また、参加人数も多く、子供はもちろん、保護者、祖父母、近隣の住民など、多いときは100人くらい集まりました。

長男が小学校に入学した年から、長女が小学校を卒業する年までの11年間、子供会の役員を続けました。そのため、夏休みだけですが、自由参加の3年間+11年間=14年間、ラジオ体操を続けたので、ラジオ体操が体に染みついてしまいました。今でも、ラジオ体操の音楽さえ流れれば、順番を間違えずに、第1も第2も体操することができます。

若い頃は、ラジオ体操は「への役にも立たない」かったるい存在でした。しかし、55歳を過ぎた頃から、ラジオ体操は「気を抜くと怪我をする」甘く見てはいけない存在になりました。実によく考えてある体操だと、年を食ってから、しみじみ思います。全身の様々な部分をくまなく動かす工夫、年齢に関係なく誰でも無理なくストレッチする工夫、この体操を毎日行ったら健康寿命は確実に延びるだろうと勝手に持ち上げてしまうほどです。
でも、老齢の私にとって体操の「ジャンプ」は危険です。下手すると肉離れを起こしそうで怖いです。そのため、会社でラジオ体操をするときは、慎重にジャンプのまねをしていました。そんな時、偶然ですが「危険なジャンプ」を克服する技を開眼しました。腕をまっすぐ体側にくっつけて姿勢正しくジャンプするのではなく、「グー」を握った腕を肘から曲げて胸にくっつけ、ジャンプする瞬間は肘を軽く開き、降りるときは肘を閉める、まるで幼児がお遊戯をしているようにジャンプすると意外に安全に飛べます。よかったら試してみてください。(2020.8.3)

日時: 2020年08月03日 09:43

2020年07月21日

初めての入院

個人情報なので詳細には触れませんが、人生で初めて入院しました。たった3日間だけですが、「制約される生活は想像以上に大変。あと、いいです!」と言うのが率直な感想です。
それでも「入院から学ぶものがあった」と強がって見せるのは元教師のサガなのか…。

学んだこと(その1)「車椅子」
指の治療の局部麻酔は何回か経験がありますが、下半身全部が麻痺する様な麻酔は初めてでした。病室にもどるときの移動方法は車椅子です。看護師さんに押されて「ドナドナドーナドーナ~♪」と売られていく子牛のごとく進む車椅子に乗りながら、「あれ? 俺って、今まで車椅子乗ったことがないかも…」「まずいなぁ」と急に暗い気持ちになりました。
というのも、私自身、街で車椅子を押したり、持ち上げたりという経験があったので、「自分は車椅子に乗ったことがある」と勝手に脳にインプットしていたからです。さも車椅子乗車の経験があるかのように、「車椅子を利用する人の身になって考えてみよう」と社会科の授業でヘラヘラ言いました。車椅子を使って生徒に乗車体験させたときも、「実際に体験することが大事なんだ」とヘラヘラ言いました。「やばいなぁ~。偉そうに言ってしまった…」と深く反省しています。
無理やり話題を「学んだこと」に戻して、実際に車椅子に乗ってみての「気づき」を述べます。
気づき1:意外とアイポイントが低い(立っている人がプロバスケットの選手に見える感じ)
気づき2:意外と不安定(力の加減を間違えると車椅子ごと倒れそう)
気づき3:廊下が狭く感じる(人や物の間を通過するときぶつかりそう)
気づき4:乗り降りが大変(足が麻痺しているので、ベッドへの移動は危なかった)
気づき5:重量級患者は重労働(私を押してくれた看護師さんが大変そうだった。全身の力を込めて押して、ようやく動き出す。狭い場所での方向転換はとても難儀で、ゴミ箱やコンセントにぶつかりながら何回も切り返して、ようやく脱出)

学んだこと(その2)「食器の工夫」
DSC_06362020.JPG入院の楽しみは食事しかないと言っても過言ではありません。ご飯のどんぶりと味噌汁のお椀は保温のため二重構造になっていて、分厚い蓋がついています。ベッドの傍らで、無人島にいるかのごとく、孤独に食べている最中はとても暇なので、蓋を眺めるしかありませんでした。「おっ!」、小さくですが、蓋の一部分がぶっ欠けていることを発見しました。でも、私は気にしません。次の食事の時も、どんぶりの蓋の一部分がぶっ欠けていました。「連続かよ…」、でも、私は気にしません。しかし、そのぶっ欠けが私に向かって「俺はぶっ欠けじゃねぇよ。もっとよく見ろ!」と呼びかけてきます。しょうがないので、じっと見ると、人為的な二等辺三角形のぶっ欠けであることに気づきました。お椀の蓋にも同じようなぶっ欠けがあります。「なるほど!」、私は気づきました。説明します。
よくあること:食堂や旅館で汁椀の蓋がなかなか取れなくて苦戦したこと。病院で、それは困ります。これは、「ぶっ欠け」ではなく、蓋を取りやすくするための由緒正しい「空気溝」だったのです。

私の病室には、他に5名の患者さんがいました。看護師さんとの会話などから、みんな大変な不安(私もそうでしたが、むしろ恐怖の方が正しいかも)で一杯一杯な状態であることが伝わってきました。皆さんの早い回復と退院を願っています。(2020.7.21)

日時: 2020年07月21日 11:00

2020年07月14日

サマータイム

7月と言えば夏休み。しかし、今年はコロナウイルスのため、学校の夏休みは遙か彼方です。
さて、夏至から半月が過ぎましたが、今も朝の4時頃から夕方の7時頃まで明るく、1年で最も長く屋外活動ができる時期です。また、早起きして何か「ひと仕事」するにはもってこいの季節でもあります。そんなことを考えているうち、アメリカで体験したサマータイムを思い出しました。

まず、雑学から。かつて日本でもサマータイムが導入されていました。GHQ政権下の1948年から4年間、電力不足を補うことなどを理由に始められましたが、多くの国民の反対で廃止されました。最近では、東京オリンピックの猛暑対策で、サマータイムが一時話題になりました。

PICT0110202001.JPGアメリカのサマータイムは、資源節約を目的に第二世界大戦中に復活し、現在に至っています。実施期間は、3月第2日曜日から11月第1日曜日まで(今年は3月8日から11月1日まで)です。サマータイムというと、なんとなく真夏の3ヶ月間ぐらいの期間というイメージですが、約8ヶ月間という結構長い期間実施しています。私が研修で訪問した2003年は、今より少し短い期間で、4月第1日曜日から10月第4日曜日まででした。訪問した時期はサマータイムが終盤の10月中旬。訪問先はロサンゼルスの南、IT関係企業が多く集まる新興都市のアーバイン市です。
印象に残っている一つ目。サマータイム(標準時間より1時間早い)なので、まだ真っ暗な朝5時。なんと、ホテルの真横を走る片側7車線のサンディエゴ・フリーウェイの登り車線が、ベッドライトをつけた車で大渋滞していたことです。しばし、驚きと疑問を感じながら大渋滞を眺めていました。大渋滞の理由は、多くの企業の始業時刻が早朝の6時頃だということです。アメリカは国土が広大なため4つの時間帯があります。やはり経済の中心はニューヨークで、一番東側の時間帯です。ロサンゼルスは一番西側の時間帯で、3時間の時差があります。例えば、ニューヨークの本社の始業時刻が9時とします。ロサンゼルの支社がそれに合わせれば、6時の始業時刻になってしまうのです。こんなに秋深くまでサマータイムを引っ張らなければ、出勤する時は、もう少し明るいだろうにと思ってしまいました。
二つ目は、10月26日午前2時にサマータイムが終了したときです。日本なら、前日から「サマータイムが終了します」「時計を1時間戻してください」と、テレビや新聞を通して何回も、うるさいほど注意喚起するだろうと思われます。しかし、何もありませんでした。騒ぐわけでもなく、ホテルのフロント係が「時計の調整はしましたか?」と言ってくれるわけでもなく、前日と変わりない、普通の一日の様に標準時間の生活が始まっていることに驚きました。そんな中、ホッとするものをバスの車窓から見つけました。それは、大きなビルの壁に設置してある、まだサマータイムのままの巨大時計です。時計なんですが、「あっ。忘れてました…」と言っているようでした。

もし、日本でもサマータイムが導入されたらどうでしょう。1時間早く帰宅し、夕方の時間を有効に使う「ゆとりのある生活」になるでしょうか? 働き方改革の真っ最中に、まさか「明るい分もっと部活動をしよう!」はさすがにないと思いますが…。(2020.7.14)

日時: 2020年07月14日 14:02

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