山形教育用品株式会社 - 豊かな郷土山形を愛する子どもたちのすこやかな成長を願っています。

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2019年08月26日

どこに行ったの? 「結城よしを」の歌碑

 炎天を 槍のごとくに 涼気過ぐ  (飯田蛇笏)

「炎熱の天(「そら」と読んでください)白雲わく」そんな感じの8月でした。いやあ、暑い! 暑い! 外に出ると、熱風が肌を焼く感じです。寒いのが苦手、暑いの大好きな自分ですが、さすがに参りました。

0010826%20%28220x124%29.jpgさて、会社の夏休み9連休も終わりました。社員の皆さんは家族旅行やゴルフなどで楽しく過ごされたことと思います。自分はどこへ行くこともなく、墓参りが唯一の遠出でした。それでも暇をもてあまし、家にも居場所のない自分は暑さの中、徘徊散歩であっちへ行ったりこっちへ行ったりで夏休みを過ごしました。
散歩コースの一つに霞城公園があります。つい先日まで知らなかったのですが、霞城公園の住所は「霞城町」だそうです。定住者が一人もいない不思議な町です。公園内には様々な建物がありますが、山形市郷土館もその一つです。ちなみに住所は「霞城町1-1」です。「1丁目1番地」ですよ!
郷土館は明治11年に竣工されて以来、長く山形市立病院済生館として使用されてきました。昭和44年に現在地に移築された「旧済生館本館」は、14角形の回廊と三層の塔楼で形作られています。三層ですが4階建てだそうです。独特の形態です。明治初期の洋風建築の独特の美しさがあります。8月14日、その郷土館をめざし炎天下、遠回りしてのウォーキングに出ました。

0020826%20%28124x220%29.jpgところで、なぜ郷土館に行ったかというと、あることが知りたくてそれを教えにもらいに立ち寄った次第です。現在、郷土館には顔見知りの退職校長先生が3人嘱託としてお勤めになっています。ちょうどO先生とI先生がおいでになり、しばらく教職退職後の話に花を咲かせてきました。
さて、肝心の「あること」ですが、霞城公園内にあるという『結城よしを』の歌碑を見たくて、その場所を知りたかったのです。2人にお聞きしたところ、公園地図には旧児童文化センター跡地に印があるので、そこなんじゃないかと教えられました。これまでもよく通ってきた場所なのに、そんな大きい石碑があったかなと思いながら郷土館を後にしました。
翌15日、歌碑の在処をめざして霞城公園を再訪。まっすぐ旧児童文化センターを跡地に行ってはみたものの周りにはロープが張られ、草は生い茂り、歌碑らしきものはまったく見えません。おかしいなと思い、公園の管理事務所前の案内板を見ても、やっぱり同じ場所に歌碑はまちがいなく存在している。でも、実際はない。あちこち行ったり来たり…。
と、思い出したのが、現在山形支店役員のT先生が、山形四小の校長時代に霞城公園からグラウンドに碑が移設されたという話です。そう言えば、結城よしをは山形第四尋常小学校を卒業した人だった。歌碑はまちがいなく四小にある。
そして、翌16日、四小まで出向き、ようやく歌碑に対面しました。蔵王山の立派な石にはめ込まれたレリーフには、結城よしをの代表作『ないしょ話』が力強く、流れるような書体で刻まれていました。

0030826%20%28220x124%29.jpg「結城よしを」は、南陽市宮内出身の詩人です。大正9年(1920年)生まれ。両親の健三とえつはともに歌人です。山形市立第四尋常小学校を卒業すると、市内の本屋に就職。17歳で童謡誌を刊行、19歳で代表作「ないしょ話」を作詞し、レコード化されます。21歳で招集され、シンガポールやニューギニアなど各地を転戦、昭和19年に24歳の若さで戦病死しました。「ぼくの童謡集を出版してください」が最後の言葉だったそうです。
『ないしょ話』という童謡は、大正時代の「赤い鳥」運動を想起させる、今聴くと何とも古めかしい歌です。しかし、今の社会状況、人間関係、特に親と子の関係を考えると、忘れてはいけないとても大切なことが謡われているような気がします。終戦74年経った記念の日に思いました。

「ないしょ ないしょ 
 ないしょのはなしは あのねのね 
 にこにこにっこり ね、母ちゃん
 お耳へ こっそり あのねのね
 坊やのおねがい きいてよね」

<追記>
結城よしをと親交を結び、いっしょに童謡集を発刊した山辺出身の童謡詩人に「武田勇治郎」がいました。代表作は『花のいろ』です。二人の交流については、本社発刊『やまがた人物風土記2』に、佐々木悦先生がくわしく書かれています。かれも戦争で健康を害し、復員後、あの済生館に入院、そして退院後、まもなく亡くなります。勇治郎も享年28歳という若さでした。戦争からは不幸しか訪れないですね…。(2019.8.26)

日時: 2019年08月26日 12:55

2019年07月25日

東京タワーは元気に立っていました

 秋天に 東京タワーといふ背骨 (大高翔)

先月25日に気象庁が発表した3ヶ月予報によると、7月の北日本はエルニーニョ現象の影響で特に雨が多く気温も低いとされました。それを聞いて頭をよぎったのが、平成5年(1993)の平成米騒動です。今から26年も前の出来事ですが、あの時の騒動はよく覚えています。
0010725%20%28220x124%29.jpgその年、梅雨前線が長期間日本に停滞し、日照不足と長雨の影響で米の収穫量が著しく下がり、作況指数は「74」という異常な事態となりました。全国の米不足と価格高騰は深刻で、タイや中国、アメリカから、いわゆる「外米」を緊急輸入しました。
宮城の友人が「山形はまだいいほうだろう」と、家族と車で米の買い出しに来ました。10kgの米を4袋ばかり積んで、うれしそうに帰っていきました。一人で4袋は買えないので、手分けして買った記憶があります。お陰で生きながらえたとまでは言われなくとも、大いに感謝された覚えがあります。
長期予報を聞いて、そのことを思い出しました。予報どおり、東京の7月の日照時間は平年の1割、気温も低く肌寒い毎日だそうです。『喉元過ぎれば熱さ忘るる』『天災は忘れた頃にやってくる』。米の備蓄まではいかなくても、日頃から『備えあれば憂いなし』の意識が大切ですね。

さて、今月初めに私用で東京に行きました。新幹線を降りたとたん、蒸し暑い空気がまとわりつく思いがしました。どんよりとした空と粘り着く湿気を含んだ空気は、まさに梅雨を感じさせます。
用事が済んだ後、時間があったので東京タワーに行ってきました。東京タワーは、今年で竣工61年目を迎えたそうです。自分の年齢とさほど変わりありません(ちょっとサバを読んでいます)。
東京タワーまでの交通アクセスはよくありません。地下鉄三田線で芝公園駅まで行き、公園の反対側まで15分近く歩かなくてはいけません。蒸し暑い中、荷物を持っての歩きはかなり疲れます。しかも、近道をしようと芝公園を斜めに進んだら小高い丘に遮られ、階段を登り降りしたら余計に時間がかかってしまいました(この丘、「芝丸山古墳」という東京都の指定遺跡だそうです。びっくり!)。
0020725%20%28165x220%29.jpgようやくたどり着いた東京タワーは、寂しいぐらい人がいません。アジア系の外国人と老人クラブのお年寄り、10名ぐらいの修学旅行の中学生。ガラガラです。1階にあるレストランも50人ほどしかいませんでした。現代では、高さ333メートルに魅力を感じないのかもしれません。展望台から下に見える景色にもそれほど感動はありません。夢や憧れは、高ければ高いほど魅力的なのと同じなんでしょうね。上の展望台まで登れば印象も別なのでしょうが、見学料金が2,800円となると二の足を踏んでしまいます。
どんよりと雲に覆われた空の下の景色は、灰色にかすんでよどんでいます。ここに来たのは今から50年前、中学校の修学旅行の時だったな。あの時は夜の見学で夜景がきれいだった。瀬戸物でできたタワーのお土産を買ったな。そんな記憶がよみがえりました。よどんだ景色に「昭和」を感じました。スカイツリーが「平成」なら、東京タワーはやっぱり「昭和」です。

懐かしさとともに東京タワーを後にしました。見納めに振りかえると、東京タワーは50年前と変わらず、凜としてそこに立っていました。それに負けじと、自分も足取り軽く見せながら帰り道につきました。どれ、明日からまたがんばらねば。(2019.7.25)

日時: 2019年07月25日 09:23

2019年06月26日

入院と子どもの泣き声

 噴水の しぶけり四方に 風の街 (石田波郷)

からだの都合で5日ほど入院しました。病院に行く途中に噴水があります。噴水の水しぶきが日光に反射して、まばゆいばかりに輝いていました。夏ですね。  
0010626%20%28220x147%29.jpg荒井由実に『海を見ていた午後』という歌があります。45年も前の曲ですが、今も色褪せてはいません。詞の中にある「ソーダ水の中を 貨物船がとおる 小さなアワも 恋のように消えていった」というフレーズが好きです(三島由紀夫の詩にも同じようなフレーズがあるそうです)。荒井由実の歌は、ソーダ水のアワのような歌い方です。そして、「噴水のしぶけり」を見ていると、まさに「小さなアワが 恋のように消えていった」という気持ちになります。

さて、からだですが、大丈夫です。のどにできた良性のポリープの切除です。昨年に引き続き2回目です。慣れたものです。気管の手術なので全身麻酔です。これが気持ちいい。麻酔の点滴をされると、あっという間に夢の世界です。「麻酔」は、明治の終わり頃は医学界では「魔睡」という漢字が遣われていたそうです。まさに、悪魔の眠り、魔法の眠りです。目覚めも気持ちよく、ぐっすりと眠れたなという感じです。

病棟は、耳鼻科と小児科が一緒になっています。朝から夜中まで、乳幼児の泣き声が病棟内に響いています。泣き声の大きさも泣き方も千差万別です。この泣き声が快か不快かといえば、もちろん心地よいものではありません。

そのことで思い起こす出来事が二つ。
一つは、今月中旬、新潟県N市役所の31歳の女性職員が生後2ヶ月の乳児を床にたたきつけて殺害するという事件がありました。「育児で眠れなかった」と供述しているようですが、何ともつらく悲しい事件です。産後うつ、育児ノイローゼでしょうが、何も生後間もないわが子を殺すことは…。
もう一つ、これも今月ネット上で話題になっていることです。フリーアナウンサーの小島慶子さんの問題提起。小島さんが、ツイッターで「電車の中で泣く赤ちゃんに腹を立てて『泣きやませる努力が足りない』と母親を責めるツイートを見た」として、「生き物だから思い通りにならないのですよ。それよりあなたの幼稚な『ママは完璧』幻想を捨てる努力をしたらどうでしょうか」と異論を唱えたというものです。幼稚な考えというのはどうかと思いますが、正論でしょう。

子どもの泣き声、特に赤ちゃんの泣き声は、人によっては「癇にさわる」ことだと思います。自分も子どもが小さい頃、夜中の泣き声で苦労しました。日中忙しく働いている者にとっては、まさに癇にさわります。また、電車の中でも大声で泣き出して、なだめてもすかしても泣き止まず、周りの方々に不快な思いをさせたこともたくさんあります。
でも、それはみんな同じです。泣かない赤ちゃんなんていません。泣く子は元気な証拠です。癇にさわるあなたも、幼い時は大声で泣いていたのです。

厚生労働省の育児パンフレットに、こんな言葉がありました。
「『泣き』はお母さんの注意をひきつける最も効果的なコミュニケーション手段。赤ちゃんの『ことば』です」
「泣いたら、あやしてあげる。見つめたら、見つめかえしてあげる。手を伸ばしてきたら、抱きしめて体温を感じる。おっぱいを飲んでいるときには、赤ちゃんのいいにおい。ことばの意味を理解するまでの1年あまりは、体を使ったコミュニケーション。赤ちゃんとのスキンシップも大切にしながら良い関係をつくってください」

0020626%20%28220x124%29.jpg赤ちゃんが泣くことは、大人へと成長する第一歩です。親は赤ちゃんの一番身近にいるカウンセラーなのです。自分の子どもはもちろん、他人の子どももそんな温かく、長い目で見ていきたいものです。ただし、どんな時も子どもを叱らないことを教育方針としている親の考えには賛成できませんが。

入院はわずか5日間でした。でも、疲れました。もう、病院には行きたくないと、心から思いました。退院の時、病院の外に出たら、実に空気がおいしかったです。シャバの空気はいいなあ…。
(註)写真の建物は、S生館病院から見た話題の「大沼デパート」です。裏から見ると、自分自身のようにだいぶくたびれているなあ。(2019.6.26)

日時: 2019年06月26日 11:26

2019年05月24日

仏壇に水を供える…子どもの作文から

 五月来ぬ 心ひらけし 五月来ぬ (星野立子) 

003001%20%28124x220%29.jpg机上の卓上カレンダーが5枚目を終えようとしています。5月も末。木々の緑も「萌黄色」から鮮やかな緑色「鮮緑」へと変わってきました。この季節、よく「清々しい」と言いますが、遙か遠くの山々の木々の一本一本がはっきり見えるぐらい間近に見えます。それだけ空気が澄んでいるのでしょう。まさに、二十四節気の「小満」、陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂る頃です。私的には、今頃の季節が一番好きです。
 
さて、今年も文集『山形の子ども』が送られてきました。県教組教育文化部で編集発行している作文集です。「日々の生活を綴る作文」と謳っているだけあって、遠足や運動会などの行事作文とはひと味違います。読んでおもしろいです。特に、低学年。
その中の一編。河北町立谷地南部小学校1年 あだち たいがくんの『おとうさん、お水をどうぞ』を紹介します。

 ぼくは、まい日、ほとけさまにお水をあげるお手つだいをしています。ほとけさまはおとうさんです。
 おとうさんは、ぼくが生まれてすぐにしんでしまったそうです。だから、ぼくは、おとうさんのことがぜんぜんわかりません。でも、まい日、ほとけさまにかざってある、おとうさんのしゃしんを見て、おまいりしています。
(中略)
 お水をあげるときは、チンチンとかねをならします。そして、こころの中で、「うんどうかいではやく走れますように。」とか、「おうえんしてね。」とかおねがいします。
 おにいちゃんは、
「パパ、よろしくね。」
と、こえを出しておねがいをしています。
007002%28124x220%29.jpg ときどき、お水をあげるのをわすれてしまうことがあります。だけど、おにいちゃんがごはんを上げていると、ぼくもおもい出してやります。おにいちゃんがわすれたときは、
「おにいちゃん、ごはんあげするんだよ。」
と、ぼくがおしえてあげます。
 なつ休みに、おとうさんが生まれた名ごやのおじいちゃんとおばあちゃんのところにいきました。おにいちゃんと二人だけでいきました。ひこうきにのっていきました。
 名ごじいちゃんと名ごばあちゃんは、
「おとうさんは、やさしい人だったよ。」
と、おしえてくれました。
 そして、名ごばあちゃんは、おとうさんがたいせつにしていたキーホルダーをくれました。ぼくは、それをおさいふにつけました。ぼくは、それを見ると、すこしだけおとうさんのことをおもい出します。
 おとうさんがやさしい人だったときいて、ぼくはうれしかったです。だから、ぼくもやさしい人になれるように、お手つだいをつづけていきたいです。お水をあげるときは、こころの中で、そっと、
「おとうさん、お水をどうぞ。」
といいます。

009003%20%28124x220%29.jpg山形の言葉で言えば、「むつこくなる」ような作文です。いじめや虐待が日常茶飯の世の中、純真な少年の温かい思いを感じて何かほっとさせてくれます。
仏様に水やご飯を供えることをしている子どもが、今どれくらいいるでしょうか。身近な家族が亡くなったりしなければ、仏壇に手を合わせることもないでしょう。かく言う自分も神も仏も、キリストもアッラーも信じない不信心な罰当たり者ですが、たいがくんが毎日、亡き父に水を供えていることに頭が下がります。
「水をあげる」ことによって、よく覚えていないお父さんとのつながり、そして自分自身の成長を確認しているんでしょう。きっと、お父さんも喜んでくれていると思うよ、たいがくん。(2019.5.24)

日時: 2019年05月24日 09:56

2019年04月26日

「令和」時代到来 山形市中心市街地の未来は…

 たんぽぽや 日はいつまでも 大空に (中村汀女)

季節は、「穀雨」の頃を迎えました。4月初旬は雪が積もる、まさに「寒の戻り」という言葉がぴったりの寒い日が続きましたが、さすがに桜も散り始めたこの時期は季節の変わり目を感じさせます。葉桜が目に鮮やかです。

001%20%28220x124%29.jpg変わり目と言えば、新元号が「令和」と決まりました。由来となったのは、万葉集「梅花の歌三十二首」の序文とのこと。
「時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す」
作者が大伴旅人とも山上憶良とも言われるこの序文は、格調高く、尊厳と品格を感じさせます。新元号「令和」より、こちらの序文に惹かれます。今、万葉集がベストセラーになっているという現象も理解できます。

さて、平成の30年をふり返る時、たくさんの思い出、感慨、印象が思い浮かびます。その中の一つに、山形市中心市街地の衰退があげられます。それというのは、山形市商工会議所の機関誌「商工月報」4月号に、『減少傾向に歯止め』と題する山形市街地における歩行者通行量調査結果が出ていたからです。
調査は、中心市街地33地点における平成26年、平成28年、平成30年、それぞれ10月の日曜日の歩行者数を調べたものです。それによると、大沼デパートからの北進地点、山形駅前から本町にかけての地点で増加傾向が見られ、「全体として中心市街地の吸引力に回復の兆しが見える」と分析しています。
でも、「本当なのかな」という感想を持ちます。最近の景気判断のように正直実感がわきません。本町から七日町までの地点は、八文字屋付近の七十七銀行前は平成26年の3,313人から平成30年は1,876人になっています。4割以上の減少です。山交ビル前も3割以上の減少です。山形市の人口は増加していますが、中心市街地の人口は減少傾向にあります。
以前にもこのブログで書きましたが、中心市街地の更地の急増、空洞化が顕著です。駅前の旧ビブレ跡地駐車場、旧十字屋解体工事、山交ビル入店店舗状況、大沼デパート問題等々、どれもこれも寂しい限りです。

005%20%28220x124%29.jpg山形市の季刊誌に『やまがた街角』があります(本誌は18年の歴史にピリオドを打ち本年3月に休刊しました)。2018年冬号に『平成山形街なかプレイバック』という特集がありました。平成時代をふり返って、山形市中心商店街の今昔と将来への提言(?)の記事ですが、その分析がなかなかおもしろく、興味深く読みました。
特に、中心商店街の衰退の原因の一つに「アーケード撤去」をあげていることに大変興味を引かれました。アーケードは、流行る店もそうでない店も同じ屋根の下にある百貨店のようなものだ、その屋根が撤去されれば流行らない店から休業に追い込まれていくという分析には、「なるほど」と思わされました。アーケードは雪国にとっては便利ですが、火事などの災害時にはかえって被害を大きくします。近年は撤去される傾向にあります。しかし、撤去された後の街並みはちょっとみすぼらしい感じです。七日町や本町、そしてスズラン街商店街も華やかに飾られたアーケードがなくなり、寂しい通りに変貌しました。仙台の中央通り商店街のようなりっぱなアーケード商店街を期待したいものです(まず無理でしょうから、夢みたいなものですが)。

さて、明日から会社も10連休。それぞれいろいろな計画をお持ちの方が多いでしょうが、当方、混雑が嫌い、人混みが嫌い、行列が嫌いの人間にとっては家に引きこもっているしかありません。せめて、人通りの少ない七日町商店街を散策して時間をつぶすしかないようです。(2019.4.26)

日時: 2019年04月26日 09:44

2019年03月28日

旅立ちの季節

 菜の花が しはわせさうに 黄色して (細見綾子)

今年度も後4日となりました。来週月曜日は4月1日、新学期、新しい年度がスタートします。通勤途中にある小学校のグラウンドでは、卒業した子ども達がサッカーをして遊んでいました。小学校生活への名残惜しさと新たな出発への喜びが感じられます。別れとスタートを繰り返し、子ども達は大人になっていく。中高年はスタートがなくなり、別れしかなくなってくる。新たに何かやってみようという挑戦がなくなってくるとますます老いていくのかなと、元気に駆け回る子ども達をうらやましく感じたところです。

002%20%28220x124%29.jpgさて、3月初めのある日、社員に誘われて山形市内T小学校で開催されたコンサートに行ってきました。そのコンサートは、校長先生が自ら演奏する退職記念コンサートでした。D校長とは若い頃からの知り合いですが、歌を聴くのも、ギター演奏を聴くのも初めてでした。若い時分、路上で演奏もしていたという歌声は定年間近とは思えないほど声に伸びとつやがありました。曲もテレビから聞こえてくるジャパニーズポップスで、D校長のセンスと若さを感じました。
どの曲もすばらしいものばかりでしたが、なかでも、ゆずの『友 ~旅立ちの時~ 』と映画ドラえもんの主題歌『ひまわりの約束』がすばらしかった。2つとも合唱曲になると、歌詞の持つ意味と曲の豊かさがいっそう伝わってきます。歌詞だけ見ると、今時の言葉がぽんぽんと羅列しているように思いますが、その言葉にメロディーがのるとすばらしい曲の世界が広がります。オリジナルの曲もすばらしいですが、合唱曲にアレンジされると深みと豊かさがいっそう増すように感じます。特に、『友』は、2013年のNコンの課題曲だったこともあり心に残ります。郡山市立第二中学校の混声合唱は秀逸です。ぜひ、YouTubeでお聴きいただければと思います。

0010329%20%28220x165%29.jpg合唱を聴いていいなと思うようになったのは教員になってからです。小中学校時代は音楽が大の苦手で、「音が苦」でした。特に、歌を歌うことが嫌いで、成績はいつも「2」ばかりでした。技能教科において「1」というのは普通ないでしょうから、よっぽど歌えなかったのか、歌わなかったのかどっちかだったと思います。
そんな自分が小学校の教員になって、音楽を指導するとは夢にも思いませんでした。単純に、明るく、元気に、大きな声で歌っていればいいんだと若かった頃は思っていましたが、歌うことの楽しさ、人と声を合わせることの喜びを子ども達に伝えられなかった自分の指導の未熟さを恥じ入るばかりです。
最後に勤務した学校では、合唱活動が盛んでした。子ども達の生き生きとして歌う姿や表情はもちろんですが、美しい歌声やハーモニーの素晴らしさにいつも感動していました。合唱指導の先生の指導には、いつも感心したものです。学校には美しい歌声が響いていなければなりません。

惜別と希望の季節。D校長先生、38年間の教員生活ご苦労様でした。そして、小学校のグラウンドで名残惜しそうにサッカーに興じていた子ども達に、心に残った2つの曲の歌詞を送りたいと思います。

「友 さようならそしてありがとう 再び会えるその時まで
 友 僕たちが見上げる空は どこまでも続き 輝いている
 同じ空の下 どこかで僕たちは いつも繋がっている」

(ゆず『友 ~旅立ちの時~ 』から、作詞:北川悠仁)

「そばにいること なにげないこの瞬間も 忘れはしないよ
 旅立ちの日 手を振る時 笑顔でいられるように
 ひまわりのような まっすぐなその優しさを温もりを
 全部返したいけれど 君のことだからもう充分だよって
 きっと言うかな」

(秦基博『ひまわりの約束』から、作詞:秦基博)  (2019.3.28)

日時: 2019年03月28日 16:03

2019年02月26日

たまには歩いてみませんか

 紅梅の 紅をうるほす 雪すこし (松本たかし)

まもなく3月です。日もかなり長くなってきました。12月下旬、冬至の頃に比べると、昼の時間は1時間30分も長くなっています。雪国の人間にとっては、冬の日差しのありがたさを感じるこの頃です。それに、今年の冬は雪が少ない。いつもの冬より過ごしやすいです。積もっていた雪もすっかり消えました。大雪だった昨年の今頃は40㎝もあったのに、驚きの暖冬です。

003%20%28220x124%29.jpg雪が少ないからというわけではありませんが、この時期の通勤は時々「歩き」です。夏場は自転車、冬場は徒歩、時々車という通勤形態は、会社にお世話になって5年、変わらずです。慣れれば雪道もそれなり楽しいものです。車を運転していれば、運転に集中しなければなりません。しかし、歩けばじっくりと周りの風景を観察することができます。家並みの変わりよう、空を駆ける雲の動き、雪をまとった遠い山脈、両手で化粧しながら運転する女性。すべてがおもしろい光景ばかりです。新しい発見、楽しい出会いもあります。

知り合いの校長先生と話をした時です。新採校長として赴任した小学校は置賜地方飯豊町にある小学校でした。児童数50人に満たない小さな学校です。一斉下校指導で校長も子ども達といっしょの帰り道のことだそうです。町場の子ども達だったら、1列になって無口で帰りそうなものですが、その子ども達は仲良く手をつなぎ、学校で習った歌を歌いながら楽しそうにたんぼ道を下校したそうです。その時の様子を懐かしそうに話してくれました。校長先生は本当に感動したとおっしゃっていました。のどかな光景は、まさに『二十四の瞳』や童謡『靴が鳴る』を彷彿とさせます。多分、街中では見かけられない光景でしょう。
005%20%28124x220%29.jpg昔、小学校に入学してまもなく、学校からの帰り道、同級生の女の子と女の子の家までいっしょに帰ったことがあります。彼女は学区外通学で、今の下条五叉路付近のお店が家でした。小学校は昔の山形九小、今の馬見ヶ崎川沿いにあったので、小学1年生にとっては相当な距離です。手をつないだかどうかは記憶にありませんが、学校のことを話しながら帰った覚えがかすかにあります。
陽気のいい日でした。田おこし前の田んぼにはレンゲソウやオオイヌノフグリが咲き、スズメやヒバリが鳴きながら飛んでいました。のどかな風景です。きっと、手をつなぎたくなるんでしょう、歌も歌いたくなるんでしょう。でも、そんな記憶はありません。
校長先生の体験をお聞きして、50年以上も前の出来事を思い出したところです。決して妄想ではありません。

手をつなぐとか歌をいっしょに歌うという行為は、心が開かれていないとできるものではありません。子ども達同士の日頃の人間関係の良さもあるでしょうが、周りの風景や環境も子ども達の心を開く大きな要因になっているのかなと思いました。
『となりのトトロ』のエンディングに流れる『さんぽ』という歌があります。誰もが知っている歌詞は「歩こう 歩こう わたしは元気 歩くの大好き どんどん行こう」で始まります。作詞は、大好きな絵本作家の中川李枝子さんです。この歌詞のような気持ちで、これからも新しい発見を求めて元気に歩きたいと思っています。(2019.2.26)

日時: 2019年02月26日 11:06

2019年01月15日

「平成31年」明けましておめでとうございます

 初日の出 しだいに見ゆる 雲静か (夏目漱石)

新年明けましておめでとうございます。『平成』最後の年が明けました。平成も残り4ヶ月です。来年の正月は「○○2年」となるのか、新しい年号に関心が高い年明けとなりました。
今年の正月は9連休と、社員のみなさんにとってもゆっくりと過ごした正月になったのではないでしょうか。最近、正月が来てもさほどめでたくもうれしくもなく、いかに時間をつぶしたらよいかといった、暇をもてあますだけの正月です。昔はデパートに行って福袋だの、妻の実家に年賀の挨拶だのと忙しく過ごしたものですが、今は昔、デパートもありません。妻の実家もなくなりました。
行くところがありません。誰も相手にしてくれません。寂しく雑煮を食べる年明けとなりました。

さて、年明け7日の仕事始めの儀で次のような話をしました。
CIMG0928%20%28220x165%29.jpg「イノシシのことわざに『猪見て矢を引く』という言葉があります。「猪を見てから矢を引いたら遅いよ、間に合わないよ」ということです。『猪突猛進』のイノシシらしいことわざです。
昨年12月の仮決算では、前期63期は、残念ながら厳しい決算結果となりそうです。今年も、わたしたち教材販売業界を取り巻く環境は、厳しい状況に変わりありません。児童生徒数の加速度的な減少、それに伴う学校数、学級数の減少。学校は小学校2校、中学校2校減る予定です。さらに、新学習指導要領完全実施に向けた教材の整備、メーカーとの取り引き関係、中学校道徳の教科書使用開始、先生方のニーズの変化、そして、私たちの職場も含めた働き方改革問題、等々。商機もありますが、同時に課題も山積しています。
これらの諸課題を社員一人ひとりがしっかりと認識すること。同時にこれからの方向性をみすえて、どこに、どれだけエネルギーを注力していくかという、いわゆるベクトルを定めること。このことが、今後、私たち山形教育用品が、これから先も安定して持続可能な会社として存続していくことにつながると考えます。
イノシシを見てから矢を引いては遅いのです。先を見通して事前の対策を万全にしておくことが大事です。そのためにも、いつも申し上げていますが、今年も情報の収集、共有化を確実に図っていただきたいと思います。情報は鮮度が命です。常日頃、しっかりと連携を図っていくこと、情報を速やかに、確実に共有すること、その基盤となる日頃のコミュニケーションが交わされる職場作りに努めることが極めて大切です。
そのことが、同僚性の高まりに結びつき、会社がこれから安定して生き抜いていくことにつながると考えます。
CIMG0987%20%28220x165%29.jpgぜひ皆さん、64期は、一年を笑顔で終えることができるよう、毎日の努力が、確実に、まちがいなく目に見える「カタチ」「数字」になるようがんばっていきましょう。
同時に、ただひたすらがんばり続けるのではなく、やる時にはしっかりやる、休む時は休む。仕事にはメリハリ、軽重、緩急をつけることがいい仕事につながります。会社も大事に、家族も大事に、そして自分も大事にしてがんばりましょう」

今年も『雲静か』のような経営環境ではないと思います。しかし、一人ひとりの智恵と努力によって、今期が『しだいに見ゆる』『初日の出』のような明るい展望が開ける1年となるようがんばっていきましょう。

年頭なので、今回のブログは真面目な中身になりました。(2019.1.15)

日時: 2019年01月15日 10:34

2018年12月25日

年の瀬に思う

 大空の あくなく晴れし 師走かな (久保田万太郎)

久保田万太郎は東京浅草生まれです。冬の東京の晴れた空は、まさにこの句のようにどこまでも果てしなく澄んだ青空なんでしょう。どんよりと曇った鉛色の空の下に暮らす日本海側人にとっては気の重くなる季節の始まりです。今年の冬はエルニーニョが発生して暖冬との予想ですが、雪が少なくなることを切に期待したいです。

0041225%20%28118x210%29.jpgさて、この年末にたくさんの喪中欠礼のお葉書をいただきました。数えたら40通を超えています。ほとんどがお父様、お母様のご逝去によるものです。新聞には毎日、80歳以上の方々の訃報がたくさん載っています。
年の瀬、また一つ年を重ねるにあたり、日本の人口問題、高齢化社会について考えてみました。

日本の昨年1年間の死亡数は134万人、反対に出生数は94万人です。その差40万人。単純に考えると、1年間で40万もの人口が減った計算になります。日本の総人口のピークはちょうど10年前、平成20年で1億2千808万人でした。その後減少に転じ、今年の11月には1億2千645万人です。10年間で163万人も減少しています。鹿児島県の人口に匹敵する数字です。山形県でも、この10年間でちょうど10万人の人口が減少しています。
今から80年後、西暦2100年には日本の人口は6000万人を下回るそうです。今の半分、驚きです。
昭和49年に、国は「日本人口会議」で「日本人口爆発によって様々な問題が発生するから、子どもは2人まで」という大会宣言を採択しています。
『人口爆発』なんて言葉がすんなり受け入れられたのです。今は昔、そんな時代もあったのです。もう、これは今話題の「外国人労働者」をたくさん受け入れるしかないのでしょうかね。

日本の高齢者の割合も総人口の3割近くを占めます。この場合の高齢者とは65歳以上をさします。この割合は世界でも類を見ない、極めて高い数字です。世界一だそうです。
若かった頃、自分が高齢者になるなどととは考えもしませんでした。二十歳になる時は、何かしら浮かれた想いがありました。四十になった時には、おじさんになっちゃったとため息を漏らしました。六十になった時には、さすがに沈黙しかありませんでした。そして、来年はいよいよ高齢者の仲間入りです。

%E3%83%94%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%B9%EF%BC%90%EF%BC%911225%20%28140x210%29.jpg『論語』に「子曰く、吾(われ)十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」と有名な言葉があります。
まだまだ、人間できていないなあと自戒するばかりです。さすが、儒教の始祖と呼ばれる孔子が自らの生き方を語った言葉です。でも、「惑って」ばかりいるということは、まだ四十にも達していない、まだ気持ちは高齢でないなどと、自分勝手な解釈をしてしまいます。

年末にあたり、とりとめのない話になりました。年が明ければ、一つ年を重ねるわ、会社にとって大切な子どもの数は減るわで、将来の展望は暗いとは言わないまでも、薄暗い状況です。
今回は、冒頭の句のような爽やかな内容とはほど遠いものとなりました。
みなさんには幸多くよい年となりますよう心よりお祈り申し上げます。(2018.12.25)

日時: 2018年12月25日 11:41

2018年11月28日

第51回YBC読書感想「本の森たんけん」受賞おめでとう

 冬来たる 眼みひらきて 思ふこと (三橋鷹女)

001%201128%28210x118%29.jpgこの句を詠んだ俳人鷹女先生、果たして何を思ったんでしょうね。しかも、「眼みひらきて」ですから。ある人は、「何かを見ているのではない。己の心を深く見つめているのだ」と言っています。深いですね。
寒い日が続きます。まさに「冬来る」、暦では「小雪」です。雪がちらつき始めました。心を見つめるにふさわしい季節です。

今月10日に「第51回YBC読書感想『本の森たんけん』」の表彰式が山形メディアタワーで行われました。今年度の応募数は小中高、一般合わせて929点と、近年にないたくさんの応募がありました。昨年と比べても231点も増え、主催者としてもうれしい限りです。

DSC06021%20%28210x140%29.jpg表彰式では、特選者21人、入選者30人のみなさんと、学校賞に選ばれた10校の代表者の方々に賞状と副賞をお渡ししました(佳作48人のみなさんには学校で授与になります)。
審査委員長の日本国語教育学会山形県支部会長、菊地とく先生からは、「本を読んでの自分の思いや考えを、木にたとえれば太い幹のように最初から最後まで貫くことの大切さ」を強調されたご講評をいただきました。
また、特選、入選の受賞者を代表して、蔵王第一小学校2年松井渚紗さんと大石田中学校2年安達結子さんの二人から受賞した作品を読んでもらいました。松井さんは主人公「おさるのこうすけ」と自分の弟と妹を重ねて人とのつながりを、安達さんはカレーライスの食材づくりから「いただきます」の意味について書いた感想文の朗読を会場のみなさんに堂々と披露してくれました。

そのほかの特選者のみなさんの作品にもすばらしい感想がたくさんありました。一部抜粋して取り上げることは感想文という一つのまとまりからすれば趣旨に沿わないとは思いますが、お許し願います。
 
☆朝暘三小4年 菅 秀真くん 『ええたまいっちょう!』
「心が軽くなれば、体の苦しみも軽くなる。心を軽くするのは、人の心が一番なんだなって思った。そして、人の心を深くきずつけるのも人の心。だからぼくは、野球のキャッチボールをするように気持ちもキャッチボールをして、人の心を軽くできるような人になりたい。」

☆長井小4年 左右田 心さん 『はたらく』
「世界にはいろんな人がいて、いろんな生き方があることを教えてくれました。『はたらく』ことはお金をもらって生活をするためです。でももし、一生生きていくだけの十分なお金があったらみんなどうするのだろうかと想ぞうしてみました。『はたらく』ことをやめる人がいるかもしれないだろうし、やめない人もいるだろうと思いました。『はたらく』ことをやめなかった人は、『はたらく』ことに楽しみややりがいを感じるからなんだと思いました。
 私はしょう来、『どんな大人になりたい』のか、『しょう来のゆめ』をはっきり言える自信はまだありません。でも、この本を読んで私が『はたらく』ことでだれかの役に立ったり、だれかを楽しませられたりできたらいいなあと思いました。『はたらく』は半分大人になる自分に勇気をくれた1さつでした。」         

☆大蔵小6年 加藤 響さん 『運動会小説 走れ!ヒットン』
「この本に出会う前には、私にとっての仲間は、つらいときに支えてくれるかけがえのない存在だった。そんな仲間を傷つけまいと思って暮らしてきたが、それだけでは、信頼していることにはならないと思うようになった。わたし自身が、努力できることには、手を抜かずにやるとか、仲間ができるようになるまでがまんして待ってみるとか、いろいろな方法があるのだと、この本が教えてくれた。今、私は変わっていく。友だちの気持ちを深く考えて、仲間を助けようとする、笑顔いっぱいをめざすヒットンなような人へ。」  

☆興譲小5年 石川 智温くん 『あぐり☆サイエンスクラブ夏』
「山と川とに囲まれた平野に整然と、かつ、どこまでも続く田んぼの美しさにぼくは改めて心をうばわれた。今までだって、同じような景色はいくらでも見たことがあるが、こんなに深く心に残ることは無かった様に思う。
 なぜぼくは変わったのか。それは、夏休みの初日に読んだ『あぐり☆サイエンスクラブ夏』という本と、山形の田んぼや風土のおかげだ。」 

002%201128%28210x118%29.jpgどの感想からも、子ども達の純粋な気持ちと将来への希望が伝わってきます。本を読むことをきっかけに、子ども達の感性が磨かれ、一回り心が豊かになったような感じを受けます。読書ってすばらしいなと、あらためて思います。

読書のキャッチコピーに秀逸なものがたくさんありました。たとえば、
「あの人のカバーを外したい。」
「秋も、出会いの季節だと思う。」
「こころ、色づく。」
「いい本、実りました。」
「絵本は子どもが初めて出会う別世界。」
今すぐにでも読書へと誘うすばらしいものばかりです。どうです、今から読書してみませんか、「眼みひらきて」。(2018.11.28)

日時: 2018年11月28日 09:31

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